映画「聲の形」見てきた。鑑賞時点で原作は未読。
さすが山田監督。さすがとしか言い様がない。映画を見終わって時間を確認して初めて2時間以上ある映画だって気がついた。
しかし、「けいおん!」あたりから山田監督の作品を見てきた者として、この「聲の形」はちょっと今までとは雰囲気がだいぶ異なる作品に感じた。特に感じたのは小学生時代の硝子に対するいじめの描写である。
その描写は小学生が無邪気にやりそうな範囲で特筆するものは無いのだが、「けいおん」シリーズも「たまこまーけっと」シリーズも悪い人が誰もいない世界の話を延々見てきた中の突然現れた悪人みたいで、なんとも言えない居心地の悪さを感じてしまった。
とは言え、それらは物語の重要な布石であり、硝子が転校してくる前まであった「あるもの」を破壊する重要な課程であったわけで。
ここで強烈だったのはいじめられる側の硝子の屈託のない笑顔と優しさ。なんとも言えないやり切れなさに思わずうーんと唸ってしまった。
恐らくその「愛想笑い」は硝子のコミュニケーションに対する一種の諦めなんだろうなと。そうやって無難に場を取り繕って自分自身を防御するしかないんだろうなと。
高校生になった将也や硝子のその後に続く物語の大部分が、その「あるもの」を再生していく物語に費やされる。
でも、その過程は決して平坦ではないわけで、やはりキーパーソンである硝子が聾唖者だというのが大きな壁になっていく。
普段、普通に会話して生活している我々だって意思疎通は難しい。この映画の硝子以外の登場人物の関係だって、思い違いや行き過ぎから幾度かすれ違っていく訳で。
裏を返すと「会話で声に出している言葉が全てではない」ということか。
人は自分の思っていることを全て言うわけでもなく、言えるわけでもなく、言っていることが嘘だったりすることもある。人はその意図を理解するかも知れないし、理解できないかも知れないし、理解しようともしないのかも知れない。
意思のすれ違い。この映画では硝子の存在で浮き立つけど、実際は聾唖者でも健常者でも関係ないんだろうな。
と、いろいろ書いてきたが、この映画はいろいろな要素や感情が大量に詰まっているので文書にしているとキリが無いよ!一応ネタバレ最小限で感想書いたつもりだけど、この話はネタバレしても問題ないと思う。肝はストーリーじゃないから。
実際にこの映画を見て何を感じるか、それが全てだ。
うん、久々に良いアニメを見た。
<2016/09/23追記>
原作漫画を全部読んでみたが、映画では端折っている箇所や登場人物の映画では語られない心情などが知れて良かった。
ただ、原作にあった最後の最後で硝子が、一旦将也の事故でバラバラになってしまった仲間をまとめるために奔走する下りは映画にもきちんと欲しかったかな。何で映画製作のエピソード削っちゃったのだろう?
というわけで、鑑賞後に原作を読んでみるのオススメです。