DAYDREAM

白日夢を徒然なるままに

【ネタバレ】劇場版 艦これの所感など

見てきた。

 

一言で言うと「テレビ版の決着を付けるための劇場版」なのではないかと思う。

 

テレビ版のアニメはいろいろ賛否両論あったけれども、いろいろ言われた説明不足な点や中途半端に放置してしまったところなどをこの劇場版で解決させようと頑張った感じ。

 

そして、ゲーム版でも語られることのなかった「艦娘とは何なのか」「深海棲艦の存在とは何か」「轟沈するとどうなるのか」などいくつかの謎にも挑んでいて、このあたりの設定が公式に明らかにされるのは初めてなのでは?

 

個人的に結構納得できたのは、「吹雪」を通して語られる艦娘の由来について。

 

史実ではサボ島沖海戦にてアイアンボトムサウンドに沈んだ「特型駆逐艦 吹雪」。ショートランド泊地まで聞こえる呼ぶ声は結局その「特型駆逐艦 吹雪」自身だったと言うこと。

 

第二次大戦で轟沈した艦そのもの、そこから生み出された洋上を自由に駆ける姿である表の顔が艦娘であり、それらの怨念などが凝縮した裏の顔が深海棲艦なのだと。

 

残念なのは、ここが語られる場面が吹雪の中の精神世界の話になっているので、わかりにくい所があるけれども要はそうなのだと理解した。間違ってるかもだけど。

 

ということは、艦娘はその裏の顔である深海棲艦と戦っていることになり、実は同じ起源から生み出された者同士が戦っていると言うことか。

 

分かりやすく言うと艦娘は実艦のメンタルモデル。アルペジオと違うのはメンタルモデル自身が艤装を付けて戦うところで、轟沈し海底に沈んだ艦自身は再生されない世界。そして深海棲艦、彼らもまた実艦の怨念のメンタルモデルであると。

 

何故、実艦がメンタルモデルを生み出すのか。それはこの「艦これ」という一連の作品の根幹部分であり、制作者が一番言いたいことなのだろう。なので、あえてここでは言わないので是非考えて欲しい。

 

そう考えると如月の輪廻もなんとなく分からないでも無い。怨念に支配されるか、そうでないかで艦娘/深海棲艦の二つの相を行ったり来たりする、ということか?

 

さて、ストーリーに関してだが、基本的にアイアンボトムサウンドで行われた作戦である、第一次ソロモン海戦と第三次ソロモン海戦をベースにそれぞれIFを加えた形の作戦が進行していく形でストーリーが進んでいく。

 

劇場版で迫力を増した戦闘シーンは史実を知っているとさらに楽しめる。

 

特に鳥海を旗艦とする第八艦隊(三川艦隊)が史実では出来なかった輸送部隊を攻撃する所や、第三次ソロモン海戦で暁や比叡、霧島がどうなったかを知っていると見ている方も力が入るというもの。

 

あとは、あのダブルダイソンはサウスダコタとワシントンなんだな、とか。空母棲姫はエンタープライズかな?とか。夕立は史実並みに頑張ってんな、とか。

 

そういう意味では第三次ソロモン海戦に大和がいたら、という興味深いIFにもなっている。

 

 

さて、個人的な劇場版艦これの映画評だが100点満点中の60点くらいの作品だと思う。劇場版としては特に良いというわけでもなく、悪いというわけでもない作品。

 

基本的に「艦これを分かっている人」向けになっているので、艦これのゲームやアニメを知っている人はそれなりに楽しめる内容だとは思う。

 

 

しかし、一番気になるのはTV版とこの映画版あわせて、制作者が表現したかった「艦これ」って本当にこれでいいの?!っていうことだ。

 

「第二次大戦の艦艇」+「美少女」の要素を持った艦娘が、何だかよく分からない設定でドンパチしたりする映像を作れれば良かったのか??違うよね。

 

上の方で「考えて欲しい」と言ったけど、艦艇がメンタルモデルを作る理由は艦艇自身がその存在を忘れて欲しくないからでしょう。この「艦これ」が作られた原点も第二次大戦期の艦艇のことを手段はともあれ、知って欲しい・忘れて欲しくないからじゃなかったのかな?

 

いまのままじゃ、赤城は「大食いのお姉さん」だし、瑞鶴に至っては「ツインテールの加賀さん好きツンデレ娘」のイメージだぞ。

 

それでいいのか?本当にそれで良かったのか?

 

以上