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DAYDREAM

白日夢を徒然なるままに

映画「沈黙 -サイレンス-」

コラム・日記 映画

見てきた。

 

chinmoku.jp

 

実はこの映画、公開初日(1/21)に鑑賞していたのですが、感想をしばらく書くことができなくて、やっと最近になって心の整理が付いてきたのかこの映画に対する言葉を紡ぎ出せるようになった作品です。

 

久々に凄い映画だった。映画を見るのをやめられないのはたまにこういう映画があるから。

 

心を揺さぶられ、そのストーリーや登場人物に思いを馳せることでしばし沈思黙考してしまうこのような作品に出会えるのは私にとって映画の醍醐味なんですよねぇ。

 

「ドクター・ストレンジ」のような娯楽大作も映画として楽しく鑑賞できましたが、全くデートに不向きなこういう映画もまた映画なんですよね。表現とは奥が深いです。

 

原作である遠藤周作の「沈黙」は学生時代に読んだことがあるのですが、この映画を鑑賞した後もう一度読み返してみて内容を勘違いしていたことに気がつきました。

 

それはロドリゴの棄教(転ぶ)に関して。結局この人はキリスト教を完全に捨ててしまって幕府の側に付いてしまった人と思っていたのですが、そうではなく信仰は深く内に秘めた形で心の底から転んではいなかったのですね。

 

そういった勘違いもあり、当初はこの「沈黙」という原作は人の弱さだとか、世の理不尽さだとかそういったことがテーマなのかと思っていたのです。

 

全然違いましたね。己の思慮の浅さに自己嫌悪です。

 

改めて考えると「本当はそうしたくないのだが、何か自分の大切なもののためにあえてそうする」って、誤解を恐れず凄く簡単に言うとそういうことなのかなと。

 

人も生きていく中で程度の差こそあれそういうことをする場面って少なくないと思うんですよね。家族のため、友人のため、会社のため、信念のためなどなど。そこで自分を犠牲にしてまで「それ」が出来るかって話かと。

 

この作品では「(表向き)信仰を捨てる」という行為ですよね。”あえてそうする”という行動に当たるのは。

 

もちろんそうするには自身のとてつもない葛藤と勇気が必要なわけで、それは人の弱さどころかむしろ強さなんじゃ無いかと思ったわけで。

 

対照的に、キチジローは普通の人間ですよね。彼のとった行動を、そしてその弱さを責められる人間がこの世に果たしてどれだけいるというのか?

 

いや、返す返す凄い映画を見たなと。さすがスコセッシ監督です。