DAYDREAM

白日夢を徒然なるままに

マツダ「CX-5」はどこが「惜しい」のか

おー、日本の自動車ジャーナリストもたまには面白いこと言いますね。

マツダCX-5」はどこが「惜しい」のか(JB PRESS)

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35010

長い文章なのですが、言っていることは非常に興味深いので是非読んでいただきたいのです。

個人的な感想を箇条書します。

・言っていることはおおまかに同意

・限られたコストで作っている国産車とその面でやや余裕のある外車を比較しているのでやや不公平感はある

・しかしコストのせいで国産車が「これでいいや」というヤル気の感じないクルマになってしまっているのは事実

・ほんの数十円の差で乗り心地やハンドリング改善ができるのであれば何故しないのか?そこが本当に拘るところなの?メーカーとしての矜持は無いの?

・クルマのような工業製品において顧客の要求=顧客の欲しい物の等式は必ずしも成立しないんじゃないの?

・日本は自動車生産大国だけど、自動車文化に関しては高くないという皮肉を思い出した。結局それはメーカーがその部分を育てようとしなかったからかな。

・やっぱり国産車の多くは白物家電なんだな。CX-5という技術的なブレークスルーのあった車ですら。

この記事のコメントで言われているように「批判ありきかよ」と切って捨てることは簡単ですが、色々示唆を含んだ問題提起としてはこのくらいインパクトのある文章でOKだと思いますけどね。

てか、それ以上に日本の自動車ジャーナリストはこういう耳の痛いこともたまには書くべきです。メーカー御用ジャーナリストの記事ばかりの自動車雑誌・Webなんて見たくもない。