お台場の船の科学館脇に係留されている南極観測船「宗谷」(現在の宗谷の塗装は南極観測船時代のものなのでこう呼ぶことにします)ですが、以前のエントリでその船歴の凄さをお伝えしました。
あれから、宗谷のことについて非常に興味がわいたので、さらに詳細な生い立ちを知るべく『特務艦「宗谷」の昭和史(大野芳著)』を購入し読んでみました。
読後に振り返ると、宗谷の強運ぶりを「凄すぎ」の一言で片付けるには単純すぎたかなぁと。
戦時中の幸運艦と言えば「雪風」や「時雨」、「伊勢」「日向」などがそれに当たる船だと思うのですが、それらにも全く見劣りしない幸運艦と言えると思います。本当に映画が一本撮れるんじゃないかくらいのドラマチックな船歴を持っているのです。
そのほんの一部ですが、戦時中の宗谷の足跡を年表でざっとおさらいしてみましょう。
■特務輸送艦「宗谷」のざっくり戦歴(特務艦「宗谷」の昭和史より抽出)
・1938/2/16 ソビエト連邦の発注により「ボロチャエベツ」号として進水
・1938/6/10 砕氷型貨物船「地領丸」として竣工
・1940/2/20 帝国海軍が購入。特務艦「宗谷」と命名
・1941/12/8 宗谷は横須賀にて待機中、開戦の報を受ける
・1942/1 トラック島への輸送任務
・1942/3中旬 ラバウル ニューブリテン島周辺にて測量任務
・1942/3/28-30 ショートランドへ兵員輸送任務(同行 第三十駆逐隊「睦月」「弥生」「卯月」)
・1942/3/31 ブーゲンビル島キエタ港兵員揚陸任務
・1942/4/7-8 ニューブリテン島タラシーへ兵員揚陸任務
・1942/5/26 MI作戦のためサイパン発(MI作戦の輸送船団がサイパンに集結したため)
・1942/6/7 MI作戦中止のためウェーキ島転進・待機
・1942/6/21 ラバウル周辺(カビエン)にて測量任務開始
・1942/8/7 敷設艦「津軽」と共にツラギへ兵員輸送(第一次ソロモン海戦)
・1942/8/28 修理のため横須賀帰港
・1942/9下旬 ラバウル入港。第八艦隊(三川艦隊)編入
・1942/11 ブーゲンビル島周辺にて測量任務。連日空襲を受ける
・1943/1/28 ブカ水道にて測量中、敵潜水艦から魚雷攻撃を受けるも不発
・1943/2 ラバウルにて連日の空襲。測距儀を損傷
・1943/5/5 イサベル島付近にて対空戦闘。小破。
・1943/6/24 トラック経由にて横須賀帰港
・1943/8/6 ラバウルへ向けトラック島出港(同行 駆逐艦「夕月」等)
・1943/10/2 輸送任務終了し、トラック島帰港
・1943/10/8 クェゼリンへの兵員輸送のためトラック島出港
・1943/10/19 ブラウン(エニウェトク)環礁にて大和・武蔵率いる連合艦隊と邂逅(Z作戦)
・1943/10以降 ブラウン環礁周辺にて測量任務に従事
・1944/1/14 トラックへ向けブラウン環礁出港(同行 駆逐艦「海風」等)
・1944/2/17-18 トラック島空襲。対空戦闘にて死傷者出る。座礁するが19日離礁。
・1944/3/17 サイパンに向けトラック島出港。4/7横須賀帰港し入渠
・1944/5/7 幌筵への戦車連隊輸送船団の護衛艦(兼砕氷艦)として大湊出港
いるはずなので間違いと思われる)
<この間、機関不調により横須賀在泊が続く>
・1945/2/27 室蘭への輸送任務により横須賀出港
・1945/6/26 三陸沖(船越湾大釜崎沖)にて敵潜水艦より雷撃を受けるも撃退する
(同行 海防艦「四阪」等)
・1945/8/2 横須賀第四ドックに入渠中、空襲に遭う。
敵機の増槽タンクが機関室に落下するも無事
・1945/8/3 標的艦「大浜」を女川港へ回航のため横須賀出港。
その後、八戸経由で室蘭へ向かう
・1945/8/15 室蘭にて終戦
数少ない戦争を生き延びた艦艇である宗谷ですが、ラバウル周辺の激戦地での活動や数々の船が沈められたトラック空襲などでも大きな損傷無く生還できたのはまさに幸運艦の名にふさわしいでしょう。だから後に有力なライバルを差し置いて南極観測船になるのですが。