2025年12月にエジプト旅行をした記録になります。

今回は「テーベ」と呼ばれていた古代エジプトの都「ルクソール」にある遺跡を巡った話になります。あまりに盛りだくさんだったので、今回はPart.1となります。
エジプト旅行記 その6 ルクソール編 Part.1
ルクソールでの朝
ルクソールで宿泊したホテルは「ソネスタ・セントジョージホテル」という、かなり良いホテルであった。何をもって良いホテルというのか人それぞれだと思うが、プール付きのホテルは良いホテルということにしておこう。
このホテルには館内に日本食レストランがあるし、ナイル川沿いのホテルなので眺めがすこぶる良い。

レストランでバイキング形式の朝食を取った後、ルクソールの朝の空気を感じに、ナイル川がよく見えるホテルの敷地内にあるテラスを散策。

ゆったりとたゆたうナイル川を眺めていると、ナイル川西岸にルクソールでの早朝ツアーの定番である気球が上がっている。今日はあの気球の下にある遺跡群を訪れることができると思うと、私の気分も上昇しないわけにいかない。
メムノンの巨像
いよいよルクソール西岸ツアーがスタートする。
ホテルで車に乗り、街の南部にある橋を渡ってナイル川西岸に移動。すると突然視界に巨大な座像が目に飛び込んできた。「メムノンの巨像」である。

これは新王国時代 第18王朝のファラオであるアメンホテプ3世の像で、もう荒廃してしまったがアメンホテプ3世葬祭殿の入り口(塔門)があったところに建てられたものだ。
ルクソールの観光地としては定番な上に、この遺跡もだいぶ整備されたようだが、ここでの体験はこの巨大な2つの像との対峙そのものだった。
この像が鳴くとか、足下の落書きが歴史を感じさせる、など知っているといろいろ楽しめると思うので、行く前に調べてみることをオススメする。
メディネト・ハブ(ラムセス3世葬祭殿)
メイドゥムに引き続き、ツアー規定の観光ルートではない「わがままルート」第二弾は、ここメディネト・ハブ(ラムセス3世葬祭殿)である。
このメディネト・ハブなどを追加した自作観光ルートについて今回付いたエジプト人のガイドさんになぜか激賞された。「おまえエジプト分かってるな!」的な。ガイドさんとしてもオススメスポットだそうだ。
今から約3300年前の新王国時代の神殿としては保存状態が良く、神殿の建造物や壁画レリーフも圧巻の内容なのだが、なぜか日本人向けのツアーではあまり訪れない遺跡なのだ。J○BやH○Sは猛省して頂きたい。

基本的にラムセス3世の功績や当時のお祭りの様子が壁画化されている場所である。
ラムセス3世の大きな功績として、シリア方面やヒッタイトを滅ぼした海の民など、外敵の侵入からエジプトを守り、それを追い払ったということがある。
まさに、この葬祭殿の外周壁には海の民との戦争やヌビアやシリア方面の戦いの様子が描かれていて戦闘描写や外敵を懲らしめている場面が多い。その点、アブシンベル神殿のラムセス2世関連のレリーフに似ている。





有名な海の民との戦いレリーフ。写真だと全体像が分かりにくいので、wikipediaからレリーフの複写図を転載。兵士達の戦闘中の雄叫びが聞こえるかのような、かなり詳細な描写をしていることが分かる。

オリジナルのアップロード者はドイツ語版ウィキペディアのSeebeerさん - de.wikipedia からコモンズに Arcibel によって移動されました。, パブリック・ドメイン, リンクによる
この神殿のレリーフは非常に彫りが深く、エジプシャン・ブルーに彩られた回廊など見応えがあるものばかりなので、ルクソールに訪れた際は是非見学してほしい。
貴族の墓(ラモーゼの墓)
次に訪れたのは貴族の墓。貴族の墓は王家の谷のように広い敷地の中に点在していて、今回はその中の一つ「ラモーゼの墓」を見学した。
ラモーゼは新王国時代 第18王朝において、アメンホテプ3世と4世(アクエンアテン)がファラオだった時代の宰相。
このお墓の壁画やレリーフでは、伝統的なエジプト絵画とアクエンアテン時代のアマルナ芸術を両方楽しめるなんともお得な場所。

ラモーゼの墓で一番有名な壁画は「泣き女」。葬式の場面で描かれている泣き女は古代エジプトでの立派な職業。手を頭の上にかざして泣いている人たち。絵をよく見るとポロポロと涙を流しているのが分かる。


アクエンアテンの宗教改革で唯一神となったアテン神の絵。アクエンアテンが消されてるのは、宗教改革で蚊帳の外にされた多神教時代の神官の恨みからと言われている。

写実的なアマルナ芸術の影響か、レリーフの彫りが繊細で美しい。髪の毛の編み込み(実はカツラ)を精密に再現した当時の職人の技術に感嘆するほか無い。
ハトシェプスト女王葬祭殿
続いてハトシェプスト女王葬祭殿へ。背後の切り立った崖とハトシェプスト女王葬祭殿の建物のコントラストが美しい。葬祭殿そのものが崖に描かれたレリーフのよう。

この葬祭殿の建っているシチュエーションは素晴らしいのだが、見所は1F部分の壁画・レリーフ部分と3Fのハトシェプスト女王のオシリス像くらい。至聖所に行ってもいいけど、何もない。
ハトシェプスト女王は新王国時代の女性ファラオだが、次のファラオであるトトメス3世になかなか王位を譲らず恨みを買ってしまったが故に、この葬祭殿のハトシェプスト女王のレリーフが全部削られてしまった、という話がある。

実際、1F右側のテラスにハトシェプスト女王が交易でエジプトを栄えさせたという内容のレリーフがかなりの長さで描かれているのだが、当のご本人がざっくり削られてしまっているので、なんだかよく分からない感じになっている。

3Fにあるオシリス像だが、顔がいくつか女性的でハトシェプスト女王を意識して作られたものなのだろう。
王家の谷(ツタンカーメン)
本日前半のクライマックスは王家の谷である。
幼少期にハワード・カーターのツタンカーメン王墓発掘に関する本で読んでから数十年、やっとその現場まで来ることが出来たのは感無量だ。


日本のツアーで王家の谷へ行くと、よくあるパターンとしてツタンカーメン王墓+3つの無料で入れるお墓のセットが旅程に組み込まれるのだが、私はここまで来てそれでは満足できないのである。
規定の観光ルートを外れた恒例の「わがままルート」として、入場に特別料金が必要なセティ1世王墓とラムセス6世王墓を追加した。さらにトトメス3世王墓も見学したかったのだが、現在修復中で未公開とのことで断念。
【注意喚起】
トトメス3世王墓は上の写真のカンバンでも「Closed」になっており、現在修復中で公開されていない。しかし、王墓の手前に「お金払えば入れるよ」と声をかけてくる人が居たので注意すること。当然、お金払っても王墓の中には入れない。
初めに入場するのはツタンカーメン王墓だ。

ツタンカーメンはほぼ日本独自の言い方で、世界的には「トゥト・アンク・アメン」が一般的な発音である。入り口のカンバンも「TUT ANKH AMUN」表記だ。
入り口から急な階段を下って王墓の中に入るまでにこんな会話が聞こえてくる気がした。
「Can you see anything?」(何か見えるかね?)
「Yes, wonderful things.」(はい。素晴らしいものが)
1922年11月26日にそんな会話が交わされた場所を過ぎ、王墓の中に入ると前室と玄室しかないかなりコンパクトなお墓であることが分かる。

大エジプト博物館では、ツタンカーメン関連のもの凄い数の副葬品が展示されていたが、あの量の副葬品がどこにしまわれていたのか?と思うくらい中は狭い。
実際には副葬品用の小さな部屋が2つあって公開されていないだけなのだが、他の王墓と比較すると規模がとても小さい。故に急いで作ったとか、他の人の墓を転用した説があるくらいだ。
とは言え、ハワード・カーターに憧れた自分にとってはかけがえのない体験だったので良しとしよう。ツタンカーメンのミイラもまだ王墓内にあり、若くして亡くなった少年王に手を合わせてきた。
この後、セティ1世とラムセス6世の王墓に行くのだが、それはまた次回に。