今日は8月15日。終戦記念日です。
ちょうどゲーム「艦これ」の方では夏のイベント「MI/AL作戦」として夏のイベント展開中。MI作戦と言えばかの有名なミッドウェー海戦がその途上で発生した作戦で、AL作戦はその陽動作戦としてアリューシャン方面で展開された作戦ですね。
私は現在AL作戦を終えてMI作戦遂行中です。AL作戦が予想を超える難易度だったので、面食らった提督が沢山いたようですね。私もだいぶ苦戦しましたが。
さて、昨年は捷一号作戦(レイテ沖海戦)の話をしたので、今回は戦艦「長門」と軽巡洋艦「酒匂」、この二隻の話。この組み合わせを見ただけで「あぁ、、」となる方もいらっしゃるかと思いますが。
「長門」は大和が就役するまで連合艦隊旗艦を長く勤めた戦艦ですよね。そのため、帝国海軍の象徴として大戦中に温存されたことが幸いして結局終戦まで生き残ることになります。しかし、終戦直前に油がなく既に戦艦を運用できなくなっていた海軍は長門を横須賀港に浮かんでいるだけの浮き砲台にしてしまいました。
"Japanese Battleship Nagato 1946" - 呉市海事歴史科学館. Licensed under Public domain via ウィキメディア・コモンズ.
写真は終戦直後に米軍に接収された時の長門。横須賀空襲で受けた傷跡がそのままで見ていて痛々しい、、、
「酒匂」は阿賀野型軽巡洋艦の4番艦ですが、就役が遅かった(昭和19年11月30日就役)ため、直前のレイテ沖海戦で連合艦隊が事実上壊滅していたため戦闘に出られるはずもなく、大和の沖縄特攻でも姉の矢矧に同行させて貰えずほとんど何もできないまま終戦を迎えることになります。
終戦後、海軍の象徴だった長門は捕鯨船にされそうになったり、酒匂は復員船として活動中にいろいろあったようですが、結局は両船とも米軍に接収されその行く末をゆだねることになります。
そして与えられた役目が「標的艦」。しかも、核実験の標的艦として使用されることになります。
クロスロード作戦と呼ばれる1946年7月にビキニ環礁で行われた核実験で、米軍の退役艦や独軍の艦艇(*1)と共に標的艦の役目を果たすことになるのです。
酒匂は7月1日に行われた核実験で、原子爆弾「エイブル(Able)」が艦のほぼ真上で炸裂、艦上の構造物がほぼなぎ倒された状態で炎上。翌日沈没。
長門は「エイブル(Able)」の核爆発には耐えたものの、7月25日に行われた原爆「ベーカー(Baker)」の爆発により傾斜。4日後に誰にも看取られることなく沈没。
「ベーカー(Baker)」実験の動画を下に貼っておきます。3:35-3:39に被爆直後の長門の映像があるのでご覧ください。
広島や長崎だけでなく日本の誇りとまで言われた長門も酒匂も原爆のキノコ雲に飲まれ、そして沈んでいきました。
これは悔しい。でも、一方でこれで良かったとも思っている自分がいます。
戦艦霧島のように海戦で撃ち合いをして沈んだというのであればそれが本望かも知れませんが、あまつさえ生き残ってしまった「大日本帝国海軍の象徴」長門は、敗戦国の軍艦としてその艦歴を終わらせておく必要がありました。酒匂もそうです。ただ、その介錯の仕方が核兵器というのは被爆国の国民としては非常に残念ですが。
私はあの戦争で日本が負けたのは歴史の必然だったと思っています。後の自由で平和な日本になるために、約300万人もの犠牲を払わなければいけなかったわけです。
最近、”戦争は勝てた”なんて本もあるようですがトンデモ本ですね。あのまま軍国主義やってれば良かったのでしょうか?
艦これの長門は武人然としたカッコイイ艦娘で私は好きです
でもね、彼女たちのそういった犠牲の上に今の我々の自由と繁栄があるのです。彼女たちがいなくなったからこそ、今の平和な日本があるんだなと思った2014年の終戦記念日です。
*1・・・独軍の艦艇とは2014秋イベントで報償艦だった重巡「プリンツ・オイゲン」です。だから彼女は長門と酒匂を知っているのですよ