DAYDREAM

白日夢を徒然なるままに

エジプト旅行記 その11 ダハシュール・メンフィス編

2025年12月某日、エジプト旅行最終日。

この日はダハシュールの屈折ピラミッドと赤いピラミッド、メンフィスを訪問した記録である。

 

 

 

前回はデンデラでハトホル神殿を訪れたが、その後ルクソールからカイロに空路で戻り、いよいよ旅の締めくくりへ。

 

ダハシュールはスネフェル王が「真の四角錐ピラミッド」を完成させるまでの技術的挑戦の過程を見ることが出来る場所。メイドゥムのピラミッドに始まり、ダハシュールで試行錯誤を重ね、ギザで完成形に至る。

 

言わば、ピラミッド進化の過程を見ていくことになる。

 

daydream2006.hatenablog.com

 

 

エジプト旅行記 その11 ダハシュール・メンフィス編

 

ダハシュールへ

 

前日、飛行機でルクソールからカイロに戻って、カイロ市内のホテルに宿泊。

 

この旅もいよいよ最終日。体力的にもだいぶキツくなってきたが、まだ帰りたくない気持ちもあり複雑な気分だ。

 

本日は、

ダハシュール⇒メンフィス⇒サッカラ⇒エジプト文明博物館⇒カイロ空港

といった、最終日にもかかわらず盛りだくさんのコース。

 

朝7時にホテルを出発し、一路ダハシュールへ。

 

カイロ市街の喧噪から、ギザを抜け、南下へ進むと景色は一変する。

 

周りはナイルの恵みを受けた農地。農地と言ってもナツメヤシの林がほとんどで、エジプトではナツメヤシから取れる「デーツ」は重要な栄養源である。

 

サッカラ付近の農地。ナツメヤシとキャベツ?を栽培中

 

兼業農家のガイドさんからエジプトの農業事情を聞きつつ、美しいナツメヤシの林を眺めていると、サッカラのピラミッドに入場するためのチケット売り場に到着。

チケット売り場付近の遺跡警備詰所

 

まだ時間が早いみたいで窓口が開いていない。

車を降りると、そこにはネコ様がのんびりしておられた。

 

かわいいバステト様

 

余談だが、みんな大好き「イエネコ」のルーツは、北アフリカや中近東に生息していたリビアヤマネコである。

 

そのリビアヤマネコが人間に慣れて「イエネコ」になったのは、古代エジプトの人々がネズミ駆除のために家庭で大事に飼ったので、その過程で人に慣れていったからという説がある。

 

現在のようなイエネコの形を作ったのは古代エジプトが大いに関わっているようで、世界的に伝播していく切っ掛けになったのは間違いない。

 

ネコ様を家庭で飼えるようにしたエジプトに感謝。

 

さて、チケット窓口が開いたようだ。チケットを購入しピラミッドへ向かおう。

 

 

屈折ピラミッド〜スネフェルの挑戦

 

チケット売り場から先は荒涼とした砂漠地帯となる。いくつか建物があるが、それらは軍の施設で、これから向かう2基のピラミッドは軍用地にあるらしい。

 

まずはじめに見えるのは「赤ピラミッド」であるが、その向こうに屹立する「屈折ピラミッド」がはじめの目的地だ。

 

近くの駐車場に車を止め車外に出ると、目の前に現れた巨大な屈折ピラミッドは逆光で黒く見える。その大きさや独特な形状が強調され、重厚感さえ漂っていた。

 

駐車場から屈折ピラミッドへ向かう

 

屈折ピラミッドはスネフェル王が作ったピラミッドである。2日目に行ったメイドゥムのピラミッドが彼のファーストピラミッドだとすれば、この屈折ピラミッドは彼のセカンドピラミッドだ。

 

高さ105m、底辺一辺の長さが189m。

写真で見るよりもかなり大きなピラミッドである。

 

史上初の正四角錐ピラミッドを作ろうとしたが、石を積み上げた角度が急すぎて崩落の危険性が高まり、途中で約54度から約43度へ傾斜角を変えている。これはメイドゥムのピラミッドの教訓だろう。

 

角度変更がピラミッド上部の「屈折」した形に表れているところから、俗に屈折ピラミッドという名が付いている。

 

古代名は「Snfrw Kha Sneferu」(スネフェルは南で輝く)

 

屈折ピラミッド北東稜からの全景

 

私はこのピラミッドが好きだ。

 

途中で角度を変えた出来損ないのピラミッドなどでは断じてない。

完璧ではないからこそ、人間の思考の跡を垣間見ることができる。

 

人間が試行錯誤の末にたどり着いた、知恵と工夫の結晶だと思っている。

それがこのユニークな形を生み、むしろ芸術品のような美しさすら醸し出している。

 

目の前の屈折ピラミッドは太陽に照らされ、神々しいまでの姿を現している。沈下が進み、底部の一部は崩れ始めているが、4500年の月日を経てもピラミッド建設にかける古代エジプトの人々の息吹が伝わってくる。

 

 

赤ピラミッド〜スネフェルの答え

 

屈折ピラミッドの後は、スネフェルが建てた3基目のピラミッドである「赤ピラミッド」に向かう。すぐ近くなので、車で数分の移動となる。

 

車窓から赤ピラミッド

 

見えてくるのは均整の取れた正四角錐のピラミッドである。

そう、スネフェルは3回目でついに正四角錐のピラミッド建造に成功するのである。史上初の正四角錐ピラミッドがこの赤ピラミッドだ。

 

赤ピラミッド

 

もう感動しかない。試行錯誤の結果がここに結晶している。

「43度の傾斜角」これがスネフェルが導き出した答えだ。

 

これで正四角錐で安定的な構造を得るための技術的課題は克服できた。人類はようやくピラミッドを作る方法を見つけたのである。

 

赤ピラミッド北側の階段。内部への入り口がこの先の小屋の中にある

 

この「人類史上初の正四角錐ピラミッド」は内部に入ることが可能だ。ここまで来たら行くしかないだろう。

 

ピラミッド北側の階段を上ると、その先にピラミッド内部への入り口がある小屋にたどりつく。門番二人がターメイヤ(薄焼きパンにそら豆のコロッケを挟んだ食べ物)を食べている。

 

「お前も食べて行けよー」と言ってくるが、バクシーシを要求されるは分かっているので、さっとチケットを見せて内部へ潜り込む。

 

赤ピラミッド入り口

 

通路は決して広くない。天井が低く、かがみながら進んでいかなくてはならないので太ももが疲れてくる。木製の階段になっているので足下は安定していることが救いか。

 

赤ピラミッド内部通路

 

進むにつれ、湿度の高さが気になってくる。この時は私以外に誰もいなかったので、暗い通路に静寂と石の圧迫感を抱えながら玄室まで下降していく。

 

階段を下りきった空間の先にある狭い入り口をくぐると、正面に上部まで続く木製の階段と持送り式天井を持った部屋が現れる。

 

まるで埋葬された王が天に昇っていくのを象徴するかのような形で素晴らしい。

 

幾何学的な持送り式天井

 

持送り構造とは天井がふつうの垂直な構造ではなく、少しづつ上に向かって狭まっていく方式。

 

これは上からの重量を分散させて崩壊しないようにする方法。スネフェルのチームが編み出したピラミッド建設の技術である。なのでこれは装飾ではなく、力学の理に適った形なのだ。

 

上部へ続く階段

 

キツイ下りに引き続き、キツい階段の上りである。

 

古代の階段はきっついなー、と思いながら登っていたが、そんなわけはない。観光用の階段である。

 

階段を上りきった先にあるのは玄室であった。

 

玄室

 

玄室だと理解するまでに少し時間が掛かった。なぜなら、床部分がほぼ完全に破壊されているからである。石棺が存在したと思われる場所がかなり深くえぐられている。

 

この時代の玄室には壁画やテキストなどの装飾は一切無く、破壊跡もあいまって非常に虚無的な空間だと感じた。数日前に王家の谷を見てきたこともあり少し違和感を感じるほど。

 

盗掘でこうなったのだろうが、史上初の正四角錐ピラミッドの内部がこのようになっているのは残念だ。

 

 

スネフェルの建てた3基のピラミッドを見てきたが、なぜスネフェルはここまで「正四角錐のピラミッド」にこだわったのだろうか?

 

王権の象徴や単純に墓としてだと数が多く、原初の丘のベンベン石を模倣したもの説やマアト(秩序や安定)をもたらす形状説などあるが、どれもしっくりこない。

 

私はスネフェルの美的感覚ではないかと思っている。正四角錐に現代の我々が感じるようにスピリチュアルで神聖な何かを感じたのではないか。

 

そして、自身の感性を実現させるために、前例のないピラミッドを3基も作り実現させた。その成果は息子や子孫達が建てたギザの三大ピラミッドに引き継がれていく。

 

スネフェルは古代エジプトのスティーブ・ジョブスやイーロン・マスクだったのではと思っている。自らのビジョンを具現化するために革新を起こし、時代を前に進める偉人だったのではないか。

 

 

メンフィス

 

メンフィスは古代エジプトの都だったところだ。その歴史は今から5000年ほど前の初期王朝時代にまで遡ると言われている。ピラミッドよりも歴史が古い都市ということになる。

 

 

現在は市街地の真ん中にメンフィスの遺跡として残っている。

 

遺跡内で発掘された石像を野外展示しているのだが、見どころは博物館内で展示されているラムセス2世の巨像である。というか、この人は巨像しかないな。

 

ラムセス二世の像

ちなみにこのラムセス2世の巨像、大エジプト博物館のエントランスに建っているラムセス2世像とは対で作られたもの。メンフィスに存在していたプタハ神殿の門前に建てられていたものだったらしい。

 

古代の都市メンフィスの風を感じた後、サッカラへ移動するがその後は次の記事で、

 

以上、エジプト旅行記 その11 ダハシュール・メンフィス編でした。