DAYDREAM

白日夢を徒然なるままに

エジプト旅行記 最終回 サッカラ・エジプト国立文明博物館編

2025年12月某日、エジプト旅行最終日。

この日はサッカラの遺跡とエジプト国立文明博物館を訪問した記録である。

 

Illustrated by Gemini

 

最終回となる今回はエジプト最終日午後の行程となる、サッカラの階段ピラミッドやウナス王ピラミッド訪問とエジプト国立文明博物館(NMEC)見学の記事となります。

 

 

 

エジプト旅行記 最終回 サッカラ・エジプト国立文明博物館編

 

サッカラ 〜 ネクロポリス。死者の街

 

メンフィスの遺跡から向かったのはサッカラ。

古代から続くネクロポリスと呼ばれる死者の街である。

 

 

死者の街と言ってもゴーストタウンがあるわけではない。

 

この土地そのものが広大な埋葬地となっていて、掘り返すとミイラが大量に出てくるような所なのである。

 

王や貴族はさすがに地面に直接埋めるわけにはいかないので、ピラミッドや岩窟墓などを作ってそこに埋葬されている。ちなみに、アピスと呼ばれる「聖なる牛」も専用の施設(セラペウム)に埋葬されていたりする。

 

そのサッカラの象徴となる、ひときわ目立つランドマークがある。

それがジェセル王が作った階段ピラミッドだ。

 

階段ピラミッドへ行く途中に現れる岩窟墓群

メンフィスからサッカラに向かうと、小高い丘を登っていくような感じになる。丘を登るその途中に貴族の墓と思われる岩窟墓群などが見られ、ネクロポリスに来たのだなと感じられる。

 

ウセルカフ王のピラミッド

 

丘を登りきって、正面に第五王朝の創始者であるウセルカフ王のピラミッドが見えてきたら、もうすぐで階段ピラミッドである。

 

ジェセル王の階段ピラミッド 〜 垂直方向の巨大化

 

見えてきた階段ピラミッド



階段ピラミッドは史上初の「ピラミッドっぽいピラミッド」である。

 

今から約4700年前に第三王朝のファラオであるジェセル王(ネチェリケト王)によって建てられた史上初の巨大石造建築物なのだが、なかでも「背の高い石造建築物」という当時としては革新的な建造物なのだ。

 

##石造の建築物は階段ピラミッド以前にもあったが、大規模な建築物としては初

 

古代エジプトの「墓」は、それまでマスタバと呼ばれる一階建ての平屋しかなかった。しかし、ジェセル王は「墓」を垂直方向に拡大すると言うイノベーションを起こした。

 

階段ピラミッドは6階建てになっていて、平屋のマスタバを6段積み重ねたような構造になっている。その偉大な設計者は宰相イムホテプとされている。

 

階段ピラミッド入り口の塔門



駐車場で車を降りて、物売りのお兄さんを横目に階段ピラミッド方面に向かうと、まず茶色い塔門が見えてくる。かなり修復されているとは言え、約4700年前に作られた石造の美しい門だ。

 

門をくぐると列柱室が現れる。今まで見た中でも最古の列柱だ。多くの観光客が狭い参道を歩いている。すれ違うのも大変である。

 

列柱室が現れる

 

観光客をかき分けながら列柱室を抜けると、そこには広大な広場が現れる。その向こうには巨大な階段ピラミッドが鎮座していた。

 

広場と階段ピラミッド

 

広場にいる人と比較するとその大きさが分かると思う。

高さ約60m、幅約120m。大きな世界最古のピラミッドである。

 

そして、このとても広い広場だが、実はちゃんと意味がある広場なのだ。

 

ファラオは即位してから30年目に、統治する力を更新する儀式である「セド祭」を行うのだが、ジェセル王のセド祭会場がこの広場であった。

 

このセド祭でファラオは何をするのかというと、民衆や神々への己の体力の誇示や統治力の確認として広場を走るのである。陸上競技のトラックのように使われるので、この広さはそのためなのだ。

 

 

広場をピラミッド方向に歩いて行くと、階段ピラミッド正面に中への入り口があるので、そこから内部に入ってみる。

 

そこそこ広い通路を進んでいくと、ちょうど玄室の上部に辿り着く。

 

玄室を上からのぞき見ることができる
下にあるのがジェセル王の石棺

 

階段ピラミッドの玄室は吹き抜け構造になっていて、天井がとても高い。玄室の中心部に巨大な石を積み上げて出来たような石棺があり、ここにジェセル王が眠っていたらしい。

 

 

前述のように、マスタバという平屋の墓から階段ピラミッドという垂直方向へ拡張を行ったジェセル王であるが、王権の象徴としての大きな階段ピラミッドを作ったという説がある。

 

もう一つ付け加えるなら、階段状の形状は、王が天に昇るための階段を象徴しているという説もある。王の死後、星や太陽神のもとに昇ると考えられており、その宗教観がこの形状に表れているとも言われている。

 

 

ウナス王のピラミッド 〜 言葉の力による再生

 

 

階段ピラミッドの広場を横切り、階段を上って少し歩くと何やら大きな砂山みたいなものが見えてくる。ウナス王のピラミッドだ。

 

階段ピラミッド南端から見たウナス王のピラミッド

 

ピラミッドと言うには少し奇妙な感じがするが、元は立派なピラミッドである。すでにかなり荒廃が進んでおり、ピラミッド構造物としての岩石があまり残っていない。

 

ウナス王は古王国時代 第五王朝最後の王である。ギザに大きなピラミッドを建てたクフやカフラーよりも200年くらい後のファラオで、古王国もやや勢いが落ちてきた頃のファラオである。

 

 

ウナス王のピラミッド内部を見学する前に、ピラミッドの周りをぐるっと一周回ってみることにした。

 

ちょうど上の写真の反対側である南面からこのピラミッドを見ると、北面ではほとんど残っていなかったピラミッドの名残を見ることが出来る。

 

ピラミッド外壁が修復されたところ
上部に新王国時代のヒエログリフが残っている

ピラミッドの外壁部分が一部残っている場所があるのだが、そこの修復面をよく見るとなにやらヒエログリフが描かれている。よく見るとラムセス2世のカルトゥーシュが掘られているではないか。

 

これは、ここの修復を実施したラムセス2世の第4王子であるカエムワセトが残したもの。彼は史上初のエジプト考古学者としても活動しており、その時すでに荒廃が進んでいたこのピラミッドの状況を憂いて修復したと言われている。

 

葬祭神殿があったと思われる東面を回って、北側にあるピラミッド入り口へと向かう。

 

ウナス王ピラミッド内部の通路

 

ピラミッド入り口の階段を下りると、しばらく屈まないと通れない狭い通路を進んでいく。ピラミッド内部といえば大概こんな感じなので、もう慣れっこである。

 

通路の先はちょっとした空間が広がる前室となっている。前室から右側の部屋に移動すると、そこは玄室だった。

 

石棺と玄室西面の壁画

 

このウナス王のピラミッドの最大の特徴であり、歴史的意義といえばこの玄室に描かれている壁画とヒエログリフである。

 

今まで内部を見学したピラミッドの玄室に装飾があるものは存在しなかったが、このウナス王のピラミッドはそれが存在する。

 

このウナス王のピラミッドにあるヒエログリフこそピラミッドテキストと呼ばれる最古の葬祭文書であり、王家の谷で見たファラオの墓内で描かれていた壁画やレリーフの先駆けなのである。

 

ピラミッド内のヒエログリフ。世界最古の葬祭文書

 

このピラミッド内部の壁面には200以上の呪文が書かれていて、これらはウナス王が亡くなってから「あの世」に行き、滞在するために必要な文章が記されている。

 

なかにはファラオが人や神をも喰らいながら生命力を得て天に昇っていく所を描く「食人賛歌」と呼ばれる有名な文章もあり、当時の宗教観などを垣間見ることができる。

 

このピラミッドテキストが新王国時代の「死者の書」へと発展していく。古代エジプトの葬祭文書の原点であると言えるだろう。

 

実際にこのピラミッドテキストをこの目で見たが、彫りが美しく非常に読みやすい。死者の魂が読めるように配慮した結果だと言われている。

 

ここでは、ピラミッドテキストのヒエログリフが持つ文字の力に圧倒された記憶しか無い。

 

ウナス王のピラミッドテキスト拡大版
真ん中のカルトゥーシュはウナス王を意味している

ウナス王のピラミッドも日本の旅行会社の観光ツアーではあまり行かない遺跡だ。ファラオの墓内部の歴史的転換点を目にすることができる貴重な場所なのに、なんと勿体ないことか。

 

ルクソールの王家の谷で見る、新王国時代の王の墓のきらびやかな装飾の原点がこのウナス王のピラミッドなのだ。是非、訪れてピラミッドテキストの圧を感じてほしい。

 

 

エジプト国立文明博物館 〜 ファラオの肉体

 

サッカラを離れて次に向かったのは、今回のエジプト旅行最後の訪問地であるエジプト国立文明博物館(NMEC)である。

 

この博物館の最大の見どころはThe Royal Mummies Hallに展示されている、歴代ファラオのミイラだろう。

 

あいにくミイラが置かれている展示室の内部は撮影禁止なので写真はないが、ルクソールで見てきた遺跡に関わるファラオのミイラがここに存在していた。それだけ、有名どころのファラオのミイラが現代でも残っているということである。

 

セティ1世・ラムセス2世親子、トトメス3世、ラムセス3世などなど20体以上のファラオのミイラが展示されているが、新王国時代のファラオが中心。

 

これらのファラオのミイラは、2021年に「ファラオの黄金パレード」と呼ばれる壮大な式典でエジプト考古学博物館から移送された。カイロの街をファラオ達が行進するかのような演出で運ばれたこのイベントは、現代に於いても大きなニュースとなった。

 


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歴史を勉強していると実際に歴史上の人物に会ってみたくなってくるものだが、実際にミイラとは言え会えるのはスゴイことだ。新王国時代に推しファラオがいるひとは会える確率が高いので是非!

 

NMECで展示されているアクエンアテンの像

その他はエジプトの古代から現代に至るまでの風俗や文化に関する展示が行われているが、ここでは割愛する。写真も無く、実は行っていないのではと思われるのもイヤなので、展示されていたアクエンアテン像の写真を載せておこう。

 

 

エジプト旅行の総括

 

古代エジプトの文明は、日本のそれとはまったく異なる世界のように思える。

 

ファラオは神とされ、巨大なピラミッドや神殿が建てられ、人々は死後の世界を強く信じていた。こうした文化は、日本の歴史や文化とは大きく違うように見える。

 

しかし遺跡を巡っていると、むしろ日本とよく似ている部分も多いことに気付く。

 

例えば王の存在である。

 

古代エジプトではファラオは神の化身とされ、太陽神の子として統治していた。

 

日本でもまた、天皇は天照大神の子孫とされ、神聖な存在として位置付けられてきた。

 

形は違うが、「神と王が結びついた国家」という構造は共通している。

 

巨大建築についても同じことが言える。

 

エジプトにはピラミッドや神殿があるが、日本にもまた巨大な古墳や寺社が存在する。

 

例えば日本最大の古墳である仁徳天皇陵は世界でも最大級の墓であり、国家の力によって築かれた王の墓という意味ではピラミッドとよく似ている。

 

宗教の形もまた共通点が多い。

 

古代エジプトは多くの神を信仰する多神教社会であり、地域ごとに様々な神が存在していた。

 

日本の神道における「八百万の神」もまた、自然や土地に宿る無数の神々を信仰する点で非常に近い。

 

こうして見ていくと、古代エジプトは決して遠い文明ではない。

 

文明の形や宗教の表現や手段は違っても、「多くの神を敬い、王を中心とし、死者を大切にする社会」という構造は、日本と驚くほど似ている部分がある。

 

遠い砂漠の文明のように思えた古代エジプトは、実は人間社会の普遍的な姿を映した鏡のような存在なのかもしれない。つまり、時代や距離的に離れた場所であろうと人間が考えることはそんなに違わないということなのだろう。

 

何となく古代エジプトに親近感を感じつつ、このエジプト旅行記の筆を置きたいと思う。

 

以上、エジプト旅行記 最終回 サッカラ・エジプト国立文明博物館編でした。

エジプト旅行記 その11 ダハシュール・メンフィス編

2025年12月某日、エジプト旅行最終日。

この日はダハシュールの屈折ピラミッドと赤いピラミッド、メンフィスを訪問した記録である。

 

 

 

前回はデンデラでハトホル神殿を訪れたが、その後ルクソールからカイロに空路で戻り、いよいよ旅の締めくくりへ。

 

ダハシュールはスネフェル王が「真の四角錐ピラミッド」を完成させるまでの技術的挑戦の過程を見ることが出来る場所。メイドゥムのピラミッドに始まり、ダハシュールで試行錯誤を重ね、ギザで完成形に至る。

 

言わば、ピラミッド進化の過程を見ていくことになる。

 

daydream2006.hatenablog.com

 

 

エジプト旅行記 その11 ダハシュール・メンフィス編

 

ダハシュールへ

 

前日、飛行機でルクソールからカイロに戻って、カイロ市内のホテルに宿泊。

 

この旅もいよいよ最終日。体力的にもだいぶキツくなってきたが、まだ帰りたくない気持ちもあり複雑な気分だ。

 

本日は、

ダハシュール⇒メンフィス⇒サッカラ⇒エジプト文明博物館⇒カイロ空港

といった、最終日にもかかわらず盛りだくさんのコース。

 

朝7時にホテルを出発し、一路ダハシュールへ。

 

カイロ市街の喧噪から、ギザを抜け、さらに南下すると景色は一変する。

 

周りはナイルの恵みを受けた農地。農地と言ってもナツメヤシの林がほとんどで、エジプトではナツメヤシから取れる「デーツ」は重要な栄養源である。

 

サッカラ付近の農地。ナツメヤシとキャベツ?を栽培中

 

兼業農家のガイドさんからエジプトの農業事情を聞きつつ、美しいナツメヤシの林を眺めていると、サッカラのピラミッドに入場するためのチケット売り場に到着。

チケット売り場付近の遺跡警備詰所

 

まだ時間が早いみたいで窓口が開いていない。

車を降りると、そこにはネコ様がのんびりしておられた。

 

かわいいダハシュールのバステト様

 

余談だが、みんな大好き「イエネコ」のルーツは、北アフリカや中近東に生息していたリビアヤマネコである。

 

そのリビアヤマネコが人間に慣れて「イエネコ」になったのは、古代エジプトの人々がネズミ駆除のために家庭で大事に飼ったので、その過程で人に慣れていったからという説がある。

 

つまり、現在のようなイエネコの形を作ったのは古代エジプトが大いに関わっているようで、そこから世界的に伝播していく切っ掛けになったのは間違いないようだ。

 

ネコ様を家庭で飼えるようにしたエジプトに感謝。

 

さて、チケット窓口が開いたようだ。チケットを購入しピラミッドへ向かおう。

 

 

屈折ピラミッド〜スネフェルの挑戦

 

チケット売り場から先は荒涼とした砂漠地帯となる。いくつか建物があるが、それらは軍の施設で、これから向かう2基のピラミッドは軍用地にあるらしい。

 

まずはじめに見えるのは「赤ピラミッド」であるが、その向こうに屹立する「屈折ピラミッド」がはじめの目的地だ。

 

近くの駐車場に車を止め車外に出ると、目の前に現れた巨大な屈折ピラミッドは逆光で黒く見える。その大きさや独特な形状が強調され、重厚感さえ漂っていた。

 

駐車場から屈折ピラミッドへ向かう

 

屈折ピラミッドはスネフェル王が作ったピラミッドである。2日目に行ったメイドゥムのピラミッドが彼のファーストピラミッドだとすれば、この屈折ピラミッドは彼のセカンドピラミッドだ。

 

高さ105m、底辺一辺の長さが189m。

写真で見るよりもかなり大きなピラミッドである。

 

史上初の正四角錐ピラミッドを作ろうとしたが、石を積み上げた角度が急すぎて崩落の危険性が高まり、途中で約54度から約43度へ傾斜角を変えている。これはメイドゥムのピラミッドの教訓だろう。

 

角度変更がピラミッド上部の「屈折」した形に表れているところから、俗に屈折ピラミッドという名が付いている。

 

古代名は「Snfrw Kha Sneferu」(スネフェルは南で輝く)

 

屈折ピラミッド北東稜からの全景

 

私はこのピラミッドが好きだ。

 

途中で角度を変えた出来損ないのピラミッドなどでは断じてない。

完璧ではないからこそ、人間の思考の跡を垣間見ることができる。

 

人間が試行錯誤の末にたどり着いた、知恵と工夫の結晶だと思っている。

それがこのユニークな形を生み、むしろ芸術品のような美しさすら醸し出している。

 

目の前の屈折ピラミッドは太陽に照らされ、神々しいまでの姿を現している。沈下が進み、底部の一部は崩れ始めているが、4500年の月日を経てもピラミッド建設にかける古代エジプトの人々の息吹が伝わってくる。

 

 

赤ピラミッド〜スネフェルの答え

 

屈折ピラミッドの後は、スネフェルが建てた3基目のピラミッドである「赤ピラミッド」に向かう。すぐ近くなので、車で数分の移動となる。

 

車窓から赤ピラミッド

 

見えてくるのは均整の取れた正四角錐のピラミッドである。

そう、スネフェルは3回目でついに正四角錐のピラミッド建造に成功するのである。史上初の正四角錐ピラミッドがこの赤ピラミッドだ。

 

赤ピラミッド

 

もう感動しかない。試行錯誤の結果がここに結晶している。

「43度の傾斜角」これがスネフェルが導き出した答えだ。

 

これで正四角錐で安定的な構造を得るための技術的課題は克服できた。人類はようやくピラミッドを作る方法を見つけたのである。

 

赤ピラミッド北側の階段。内部への入り口がこの先の小屋の中にある

 

この「人類史上初の正四角錐ピラミッド」は内部に入ることが可能だ。ここまで来たら行くしかないだろう。

 

ピラミッド北側の階段を上ると、その先にピラミッド内部への入り口がある小屋にたどりつく。門番二人がターメイヤ(薄焼きパンにそら豆のコロッケを挟んだ食べ物)を食べている。

 

「お前も食べて行けよー」と言ってくるが、バクシーシを要求されるは分かっているので、さっとチケットを見せて内部へ潜り込む。

 

赤ピラミッド入り口

 

通路は決して広くない。天井が低く、かがみながら進んでいかなくてはならないので太ももが疲れてくる。木製の階段になっているので足下は安定していることが救いか。

 

赤ピラミッド内部通路

 

進むにつれ、湿度の高さが気になってくる。この時は私以外に誰もいなかったので、暗い通路に静寂と石の圧迫感を抱えながら玄室まで下降していく。

 

階段を下りきった空間の先にある狭い入り口をくぐると、正面に上部まで続く木製の階段と持送り式天井を持った部屋が現れる。

 

まるで埋葬された王が天に昇っていくのを象徴するかのような形で素晴らしい。

 

幾何学的な持送り式天井

 

持送り構造とは天井がふつうの垂直な構造ではなく、少しづつ上に向かって狭まっていく方式。

 

これは上からの重量を分散させて崩壊しないようにする方法。スネフェルのチームが編み出したピラミッド建設の技術である。なのでこれは装飾ではなく、力学の理に適った形なのだ。

 

上部へ続く階段

 

キツイ下りに引き続き、キツい階段の上りである。

 

古代の階段はきっついなー、と思いながら登っていたが、そんなわけはない。観光用の階段である。

 

階段を上りきった先にあるのは玄室であった。

 

玄室

 

玄室だと理解するまでに少し時間が掛かった。なぜなら、床部分がほぼ完全に破壊されているからである。石棺が存在したと思われる場所がかなり深くえぐられている。

 

この時代の玄室には壁画やテキストなどの装飾は一切無く、破壊跡もあいまって非常に虚無的な空間だと感じた。数日前に王家の谷を見てきたこともあり少し違和感を感じるほど。

 

盗掘でこうなったのだろうが、史上初の正四角錐ピラミッドの内部がこのようになっているのは残念だ。

 

 

スネフェルの建てた3基のピラミッドを見てきたが、なぜスネフェルはここまで「正四角錐のピラミッド」にこだわったのだろうか?

 

原初の丘のベンベン石を模倣したもの説やマアト(秩序や安定)をもたらす形状説などあるが、どれもしっくりこない。

 

私はスネフェルの美的感覚ではないかと思っている。正四角錐に現代の我々が感じるようにスピリチュアルで神聖な何かを感じたのではないか。

 

そして、自身の感性を実現させるために、前例のないピラミッドを3基も作り実現させた。その成果は息子や子孫達が建てたギザの三大ピラミッドに引き継がれていく。

 

スネフェルは古代エジプトのスティーブ・ジョブスやイーロン・マスクだったのではと思っている。自らのビジョンを具現化するために革新を起こし、時代を前に進める偉人だったのではないか。

 

 

メンフィス〜いにしえの都

 

メンフィスは古代エジプトの都だったところだ。その歴史は今から5000年ほど前の初期王朝時代にまで遡ると言われている。ピラミッドよりも歴史が古い都市ということになる。

 

 

現在は市街地の真ん中にメンフィスの遺跡として残っている。

 

遺跡内で発掘された石像を野外展示しているのだが、見どころは博物館内で展示されているラムセス2世の巨像である。というか、この人は巨像しかないな。

 

ラムセス二世の像

ちなみにこのラムセス2世の巨像、大エジプト博物館のエントランスに建っているラムセス2世像とは対で作られたもの。メンフィスに存在していたプタハ神殿の門前に建てられていたものだったらしい。

 

古代の都市メンフィスの風を感じた後、サッカラへ移動するがその後は次の記事で、

 

以上、エジプト旅行記 その11 ダハシュール・メンフィス編でした。

エジプト旅行記 その10 デンデラ編

2025年12月、ルクソールからデンデラを訪れ、ハトホル神殿を見学した記録である。

 

神殿巡り Illustrated by Gemini

 

前回のアビドスでのセティ1世葬祭殿に続いて、デンデラでのハトホル神殿見学の話である。

 

アビドスが「死と再生」を巡る厳かで静謐なオシリス信仰の巡礼地とすると、デンデラのハトホル神殿は「生命・宇宙・音楽・光」といった祝祭的な要素を持った対照的な神殿。その違いに驚かされることになる。

 

 

 

エジプト旅行記 その10 デンデラ編

 

アビドスからデンデラへ

 

アビドスからデンデラへの経路

 

アビドスからルクソール方面へ戻る形で、砂漠の中を1.5時間ほど車に揺られると、古代にはイウネトと呼ばれたデンデラにあるハトホル神殿に到着する。

 

デンデラはナイル川沿いの肥沃な農耕地帯で、古代より人々が定住しやすい豊かな土地であった。

 

アビドスがオシリス信仰の巡礼地であることは前回のブログで言及したが、対してデンデラは日常の生活に基づいた信仰が盛んであった場所。ゆえにハトホル神殿はデンデラの人々の暮らしとともにあった。

 

この神殿に祭られている太陽神ラーの娘「ハトホル神」は、愛や母性、音楽、豊穣などを司る女神。子供の守護神でもあったので、古代エジプトの人々にとっては日々の暮らしに最も近い存在だったと言える。

 

こうした土地柄とハトホル神の性格が重なり合うことで、デンデラのハトホル神殿はアビドスとは異なり、神秘的で明るい空間が形成されている。

 

デンデラ神殿複合体とハトホル神殿

 

ハトホル神殿は「デンデラ神殿複合体」にある最大の神殿のことで、ルクソールにあるカルナック神殿とアメン大神殿の関係に似ている。

 

デンデラ神殿複合体そのものは外壁に囲まれた神殿含めた建築群のことで、中央部にあるハトホル神殿の外側に池や療養所など、いくつかの建物が建てられている。

 

デンデラ神殿複合体  Google Map

 

この神殿には今から約4300年ほど前の古王国時代に遡る伝承が刻まれている。それが正しければ、まだピラミッドが建造されていた時代からすでに神殿が存在していたことになる。

 

現在、我々が見ることが出来るデンデラ神殿複合体はプトレマイオス朝からローマ時代にかけて建造された神殿。ハトホル神殿はプトレマイオス朝のファラオで、かのクレオパトラ7世の父親であるプトレマイオス12世が建設を始めたものである。

 

解説もそこそこに、実際に中に入っていこう。

 

ハトホル神殿 1F〜祝祭と天空の空間

 

ビジターセンターを抜けて、しばらく歩くとデンデラ神殿複合体のローマ時代に建てられた門が見えてくる。装飾が施された門をくぐって神殿内へ。

 

塔門

 

門をくぐると、すぐ左側に神殿内で発掘された遺物が整然と置かれているのが見える。

 

その中に一体、なんとも風変わりな彫像が。

 

ベス神

 

この像はベス神である。アスワンのイシス神殿でも見かけたが、ハトホルと関係が深い神様だ。ほっぺたに色が残っていてちょっとかわいい。

 

一度見たら忘れられないベス神だが、実は家庭の守護神で、子供や出産の守り神として祭られている神さま。このユニークな姿にも意味があって、この姿で太鼓を叩き踊ることで悪霊から子供達を守るためと言われている。

 

ハトホルも音楽の神様である。音楽で喜びをもたらし、邪気祓いをするという共通点があるため、この2神はセットで登場することが多い。

 

耳を澄ますと、古代エジプトの楽器であるシストラムの音が神殿から聞こえてきそうだ。音に合わせて目の前のベス神もきっと踊り出すに違いない。

 

ベス神に家内安全を祈願して、先に進んでいこう。

 

ハトホル神殿入り口

 

ハトホルの顔が描かれた列柱が目印のハトホル神殿へ。

 

この神殿はローマ時代以降の一神教が広まった時代に、偶像破壊が行われた痕跡が残っている。なので、この柱のハトホルの顔も削られてしまっている。

 

なんとも残念だ。

 

ハトホル神殿大列柱室の天井(月)

 

入り口から入るとすぐに大列柱室となる。これはアビドスのセティ1世葬祭殿と同じだが、ハトホル神殿の方が明るく色彩豊か。

 

天井を見上げると、色鮮やかなエジプシャン・ブルーを主体にカラフルに描かれているレリーフは息を飲むほどの美しさ。

 

繊細な描写が美しく、ずっと天井を見ていられる。主に古代エジプトの天文や天空の考え方が描かれているのだが、ミステリアスな絵画群は見ていて飽きない。でも、上ばかり見ているとだんだん首が痛くなってくる。

 

ハトホル神殿大列柱室の天井(昼の12時間・ヌト神)

 

こちらは昼の12時間を表した天空の女神であるヌト神の天井画。この構図は王家の谷にあったラムセス6世の墓の天井に描かれていたものと似ている。天空や宇宙をイメージしているのであろう。

 

ハトホル神殿(B1F クリプト)〜古代エジプトの宇宙創成神話

 

大列柱室を抜け、奥へと進むと地下室への階段がある。エクストラチケットを買わないと入れないが、「クリプト」と呼ばれる、とても狭くすれ違いも難しい地下の秘密の部屋がある。ロールプレイングゲームの地下ダンジョンを思わせワクワクが止まらない。

 

このクリプトは神官用の部屋とか祭事用の用具を収めておく場所、または宗教的な言い伝えを壁画にしている場所などいろいろな説がある場所だ。

 

メナトの首飾りのレリーフ。ここに秘宝があった?

 

例えば、「メナトの首飾り」という一見装飾品のように見える楽器があるのだが、それがここに収められていたことを思わせるレリーフがある。祭事にここから出して使っていたのだろう。

 

薄暗い周囲は浮き彫りのレリーフに囲まれていて、石の質感からか空気がひんやりしている感じがする。

 

そして、有名なデンデラの電球である。

 

俗に言う”オーパーツ”デンデラの電球

超古代文明では電気が使われていて、これは電球を表したレリーフだとオカルティックな人たちは言う。しかし、ここは過去の事実を描く場所ではなく、伝承や言い伝えをレリーフにする場所だということを忘れてはならない。

 

これは古代エジプトの宇宙創成の神話をレリーフにしたもので、電球のように見えるものは蓮の花である。

 

ハトホルの息子であるホルセマウ神が持っているのは蓮の花で、その中から生まれた世界を照らす原初の光(太陽)の象徴として蛇を描いており、光が世界の秩序を作る、といった意味合いの図になっている。

 

このレリーフ、実はハトホル神殿のここ以外の場所にも存在しているので、訪れた際には是非探してみてほしい。

 

ハトホル神殿(屋上)〜天文学の交差点

 

クリプトを堪能した後は、1Fに戻り、今度は階段を上がって屋上へ。

 

ハトホル神殿の階段

 

プトレマイオス朝に建てられた神殿の特徴として「レリーフの密度が高く、壁に隙間がない」ことが挙げられる。

 

階段のような通路に当たる場所でも隙間なくレリーフで埋められていて、もう圧倒的としか言い様がない。どれだけ職人を、どれだけの年月動員すれば完成できるのだろう。

 

階段を上りきると屋上に出る。

 

屋上には小さな祠堂があり、その天井には「デンデラのゾディアック(黄道12宮)」が描かれたレリーフ「跡」が残されている。

 

デンデラのゾディアック(黄道12宮)の跡

「跡」と書いたのは、ここにあるレリーフは本物ではないからだ。レリーフの円盤本体は1821年にフランス人によって持ち去られ、現在はパリのルーブル美術館に展示されている。

 

古代エジプトというよりもメソポタミアから持ち込まれたゾディアック(黄道12宮)であるが、ヌト神が描かれるなどエジプトの神様も描かれている。ギリシャとオリエントの文化が融合した、まさにヘレニズムを象徴するレリーフである。

 

ここでアレキサンダー大王の東方遠征から生まれた作品を目撃できるとは。教科書で習った遙か昔の歴史が目の前に現れたようで感慨もひとしおである。

 

 

ここからは追加料金が必要になるが、展望台のようなテラスに登ることが出来る。ナイル川沿いの緑豊かな田舎にあるハトホル神殿周辺の景色を眺めるのも楽しい。

 

ハトホル神殿の屋上から入り口の塔門方面を望む

神殿内を一通り、地下から屋上まで見終わった後は神殿の裏手に回ってみよう。

一旦、神殿から出て、ぐるっと回り込んでみる。

 

ハトホル神殿(外周)〜悲劇の親子

 

ハトホル神殿の外壁にもレリーフが隙間無く書き込まれている

 

上の写真はハトホル神殿の西側の外壁である。ファラオがエジプトの神々へ挨拶や貢ぎ物をしている場面が延々と描かれている。

 

ルクソールで見たメディネト・ハブ(ラムセス3世葬祭殿)の外壁レリーフよりも彫りは浅く、やや迫力に欠けるが、なにより保存状態が良いのではっきり見える。

 

クレオパトラとカエサリオン(プトレマイオス15世)
このレリーフは王としての自己演出か想像の3倍でかい

 

西壁から南壁に掛かるとすぐに現れるのが、有名なクレオパトラとその息子であるカエサリオンの巨大なレリーフだ。名前から察せられるように父親はあのローマの元勲カエサルである。

 

ハトホル神殿はクレオパトラが刻まれていることから、彼女が深く関与していたことが分かる。悲劇的な最後を迎えるこの二人だが、2000年の時を経てもその姿は神殿に刻み込まれ、その存在を後世の人々に伝え続けている。

 

 

さて、アビドスとデンデラという対照的な2箇所を巡ってきたわけだが、古代エジプトの信仰や祭事、天文などと言った「文化・思想」に触れる旅だったと言えると思う。

 

デンデラは単なる美しい神殿というだけではなかった。そこには、古代エジプト特有の死生観を超えて、2000年以上前の人々が考える「宇宙」を表現しようとした試みだったのかもしれないと思えてきた。

 

以上、エジプト旅行記 その10 デンデラ編でした。

エジプト旅行記 その9 アビドス編

2025年12月、ルクソールから日帰りでアビドスを訪れ、セティ1世葬祭殿を見学した記録である。

 

エジプト神殿巡り Illustrated by Gemini

 

エジプト旅行記 その9 アビドス編

 

聖地アビドスへ

 

今日は待ちに待ったアビドスへのツアーの日である。

 

日本の一般的な旅行会社のエジプトツアーではまず行くことはないところ。このブログではおなじみ規定の観光ルートではない「わがままコース」として、ツアーにリクエストして追加したものだ。

 

アビドスは古代エジプトの神話や信仰に関する文化的なことがらや歴史的意義など前提知識がある程度必要な場所なので、訪問地としてはインパクトや派手さはなくややマニアックではある。

 

そのかわり、観光シーズンにもかかわらず訪問客も少なく、落ち着いて保存状態の良い遺跡を堪能できる。また、古代の文化や思想に触れることができる貴重な場所でもあることを述べておきたい。

 

 

ルクソールのホテルをAM6:00に出発。アビドスまでおよそ3時間ほど車に揺られることになる。長い車の旅だ。

 

ルクソールからアビドスまでの経路 by Googlemap

 

ルクソールからナイル川に沿って高速道路を北上。166kmほど走ったところにアビドスがある。日本では東京から静岡市や軽井沢、那須塩原あたりの距離感になる。

 

 

アビドスに何があるのか?そもそもアビドスって何?という声が聞こえてきたので解説しよう。

 

現在のアビドスはソハーグ県にある何の変哲もない、ごく普通の村である。

 

そして、アビドスは古代エジプトの聖地でもある。当時のエジプトではオシリス信仰といって冥界の主であるオシリスを信仰対象として崇拝していた。そのオシリス信仰の信者達が巡礼地として訪れたのがこのアビドスなのだ。

 

下の絵の神様がオシリスである。アテフ冠と呼ばれる羽根つきの帽子に、王位の象徴であるヘカ杖(牧杖)とネケク笏(殻竿)を両手に持ち、白い服と緑の肌がトレードマーク。神殿・お墓の壁画やレリーフでは必ずと言ってよいほど描かれている。

 

Standing Osiris.svg
Jeff Dahl - 投稿者自身による著作物  , CC 表示-継承 4.0, リンクによる

 

 

なぜ、オシリス信仰でアビドスが聖地なのか?

 

オシリスは神話の中で弟のセト神に殺され、遺体をバラバラにされた上でナイル川に流されてしまう。妻であるイシスは遺体を拾い集めつなぎ合わせて復活を試みるのだが、オシリスの頭部が流れてきたのがこのアビドスと言われている。

 

そして、イシスによるオシリスの復活もアビドスで行われたため、アビドスがオシリス信仰での聖地とされたのである。また、オシリスの墓があるからという説もある。

 

以上の経緯を押さえておけば、アビドスという土地の性格は十分に理解できるであろう。これから紹介するセティ1世葬祭殿やオシレイオンの予備知識としては完璧である。

 

 

アビドスの光景とセティ1世葬祭殿という名前の違和感

 

車で3時間、やっとアビドスに到着。でも、車窓から眺めるアビドスの光景が面白すぎて目が釘付けに。

 

まず道を走っている乗り物が、エジプトでよく見る古い車・バイク・トゥクトゥク、そしてロバである。そう、ロバは乗り物、運搬手段。

 

交差点で交通整理している警官に止められて待っていると、交差点を横切ったのはなんと長いヤギの行列。おそらく100頭以上はいたはず。

 

やはり、どこの国でも田舎に行くと面白い。日本ではまず見ることが出来ない光景に出くわすからだ。

 

そんな田舎の景色を楽しみつつ、セティ1世葬祭殿へと向かう。

 

 

 

手前の建物がビジターセンター。奥に見える神殿がセティ1世葬祭殿

 

「アビドスのセティ1世葬祭殿」という言い方を冒頭からしているが、正直、この呼び方には強い違和感を覚えている。なぜなら、セティ1世の葬祭儀式をここでしたわけではないこと、さらにルクソール西岸に実際に葬祭儀式をした「セティ1世葬祭殿」が実在しているからである。

 

どうやらアビドスの「セティ1世葬祭殿」は日本独自の言い方らしく、世界的には「The Great Temple of Abydos(アビドス大神殿)」とか「The Temple of Seti I(セティ1世神殿)」のようだ。

 

en.wikipedia.org

 

現地でエジプト人のガイドさんにこの違和感についてどう思うか聞いてみたら「その通りだと思うよ。だって日本のガイドブックがそう書くから、みんなセティ1世葬祭殿って言うようになっちゃったんじゃない?」という回答。確かに。

 

とはいえ、表記が揺れると読みにくくなるし、日本語の文章なので日本人になじみのある名前の方が良いと判断し、このブログでは「セティ1世葬祭殿」で統一することにした。ルクソール西岸の本来の葬祭殿については、今回はあえて触れないことにする。

 

 

セティ1世葬祭殿〜7つの神を祀るもの

 

セティ1世葬祭殿はその名の通り新王国時代 第19王朝のセティ1世により建築が開始され、子のラムセス2世によって完成した神殿である。建立されたのは紀元前1300年頃、今から約3300年前の建物である。

 

ビジターセンターのゲートをくぐって神殿に向かっていくと、神殿の手前に塔門があったと思わしき跡が見えてくる。

 

塔門の跡


塔門跡を抜けると中庭があり、緑はないがちょっとした庭園になっている。

 

セティ1世葬祭殿を正面から撮影

 

神殿中央に奥へと続く入り口が見えるが、実は正面に7つの入り口がある。中央のもの以外は塞がれてしまって使えないのだが、左からセティ1世、プタハ神、ラー=ホルアクティ、そして現在開いている入り口がアメン=ラー、オシリス、イシス、ホルスの順番に入り口が作られている。

 

それぞれの入り口は奥にある至聖所に繋がっていて、それぞれの神が至聖所に祭られている。つまり入り口が7つあるのは至聖所で祭られている神への専用入場口ということだ。ここではセティ1世も神格化されている。

 

列柱室

 

アメン=ラーの入り口から入ると列柱室になる。この神殿は保存状態が良いので、他の神殿とは違い天井が未だに残っている。

 

本来、カルナック神殿の列柱室も天井付きだったので、列柱室はこのように薄暗く、ある意味静謐で神秘的な場所なのである。神々を祭る神殿の厳かな雰囲気としては本来のものと言えるのではないだろうか。

 

お約束のもの

 

スルーしようか迷ったが、一応「お約束」として画像を上げてみた。

 

列柱室の梁に描かれているヒエログリフの一部がヘリコプターや潜水艦に見えるというものだ。超古代文明があった証拠とか言われているが、ただ単に文字の上書きがそう見えるだけである。

 

先へ進もう。

 

オシリスの至聖所


7つ入り口に対応した7つの至聖所が存在し、それぞれに素晴らしいレリーフが壁に刻まれている。

 

唯一オシリスの至聖所だけさらに奥に抜けることができる。奥の部屋も儀式の様子を描いた美しいレリーフが描かれているので必見である。

 

 

アビドス王名表〜歴史的資料の闇

 

セティ1世葬祭殿にて歴史的価値のある一級資料と言えば、このアビドスの王名表であろう。

 

アビドス王名表

 

古代エジプトの初代メニ王(ナルメル王)からセティ1世までの歴代ファラオの一覧が刻まれている。

 

気をつけないといけないのが、この一覧は歴史的な正確性が優先されているわけではなく、セティ1世やラムセス2世によって恣意的に選ばれたファラオの一覧だということだ。つまり抜けているファラオが何人かいて、例えばハトシェプスト女王やアマルナ時代の王(アクエンアテンやツタンカーメン)などはこの一覧には存在しない。

 

これはファラオは男性のみという価値観や、国や政治を混乱させたファラオは称えられるべきではないという考えからであろう。

 

著名なファラオの一覧表の中の場所

 

参考までにエジプト観光で訪れるであろう、著名なピラミッドを作ったファラオの王名表の場所を明示してみた。現地を訪れた際には是非探してみてほしい。

 

なんかこう見ると、挟まれたジェドエフラーがちょっとかわいそうな気がするなぁ。

 

オシレイオン〜オシリスの墓標

 

王名表から少し歩くと葬祭殿の裏に抜ける。抜けた先にあるのがオシレイオンである。

 

オシレイオン外観

 

オシレイオンはオシリスの墓としてセティ1世により作られたもの。普通神殿は地上に建てられるが、オシレイオンは半地下のような形で作られている。荒涼とした砂漠に岩で出来た建築物はいかにもピラミッドを想起させ古王国時代的である。

 

ただ単純に岩を積み上げただけのように見える建物なので、セティ1世葬祭殿の建設の緻密さと比較してしまうとどうしても時代が古く見えてしまう。同時代の建物であるにもかかわらず、である。

 

これはオシリスという神話上の神の墓であるということが関係していると思う。新しく見えてしまうと「いにしえの墓」感がなくなってしまうからだろう。そんなことを想像しながらオシレイオンを眺めていた。

 

なお、原則オシレイオンの中に観光客が入ることは出来ないらしい。許可があれば入れるようだが、非常に高額で目的なども必要なのだそうだ。なので、外観を見下ろすだけである。

 

 

今回のエジプト旅行で聖地アビドスを訪れることは、自分の中ではほぼMUSTであった。古代エジプトで盛んだったオシリス信仰の巡礼者を追体験したかったからである。

 

このアビドスでの時間は「観光」というよりも「体験」であったと思う。

 

古代の巡礼者体験であり、古代エジプトの神殿が本来持つ静謐さや神秘性の体験であり、古代エジプトの歴史や思想を体感する場でもあった。

 

実はこの後デンデラにも行ったのだが、長くなりすぎたので次回に。

 

以上、エジプト旅行記 その9 アビドス編でした。

エジプト旅行記 その8 ルクソール編 Part.3

今回はナイル川東岸に移動し、エジプト最大の神殿であるカルナック神殿と夜のルクソール神殿を2025年12月に訪れた記録になります。

 

神殿を巡る旅 Illustrated by Gemini

 

 

 

エジプト旅行記 その8 ルクソール編 Part.3

 

カルナック神殿アメン大神殿

 

王家の谷を一通り見学した後は、再びナイル川東岸に戻りエジプト最大の神殿であるカルナック神殿へ向かう。

 

ビジターセンターのアメン大神殿模型

 

カルナック神殿は100ヘクタールもの広大な土地に建てられた神殿などの建造物群を指しており、その一部であるアメン大神殿が一般公開されている。

 

上の写真で言うと、上方に見える横長の神殿がアメン大神殿の主要部分であり、左側に見える第一塔門から観光客が入っていく形になる。

 

アメン大神殿の俯瞰と建築時期は以下の図で見て取れる。

 

Temple-Amon-Chrono

<Wikipediaより>

 

基本的にアメン大神殿は外側の建物ほど新しい建築物になっていく傾向がある。歴代ファラオが増築に増築を繰り返して現在の規模になっているからだろう。

 

スフィンクス参道から第一塔門を望む

 

入場口であるビジターセンターからしばらく歩くと、道の両脇にスフィンクスが並んでいるスフィンクス参道越しに巨大な第一塔門が見えてくる。今日は観光客が多くて、神殿の奥の方に進んでいくのが大変そうだ。

 

第一塔門を抜けたところにある前庭。正面が第一塔門

 

第一塔門を抜けると広い前庭になる。第一塔門を前庭側から見ると、実は第一塔門は未完成であることがわかる。

 

上の写真の第一塔門に日干しレンガで出来たグレーの構造物が見えるが、これは塔門を建築する際に使用した、現代で言うところの「足場」にあたるもので、この構造物を足場にして塔門の石を積み上げていったのである。

 

完成していれば本来なら撤去されているものなのだが、そのまま放置されて現代でも一部が残っている。おかげで、どのようにして塔門が建築されたのかが分かるので興味深い。

 

そのまま前庭を経て第二塔門を抜けると、大列柱室となる。

 

第二塔門付近から大列柱室

 

大列柱室は奥行き53m、横幅102mの広間に巨大な列柱が立ち並ぶアメン大神殿では最初の観光スポットとなる場所。

中央の12本の柱は高さ約21m、直径3.6mと非常に大きなものであり、柱の上がカパッと開いている開花式の柱になっている。それ以外の外側の柱は小さく作られていて、内から外を見たときに奥行き感を出すための工夫になっている。

 

大列柱室の柱。左が開花式、右が閉花式

 

だいたいこんな手の込んだことをするのは、神殿建築大好きセティ1世&ラムセス2世の親子コンビの仕業で、その時代に装飾されたものである(建築そのものはアメンホテプ3世から)。

 

 

さて、大列柱室を抜けた先にあるのは第二の観光スポットである2本のオベリスクである。手前の低いオベリスクが父親であるトトメス1世のオベリスク、奥の高いオベリスクが娘のハトシェプスト女王のオベリスクである。

 

トトメス1世のオベリスク

ハトシェプスト女王のオベリスク

 

上の写真のハトシェプスト女王のオベリスクには、父親であるトトメス1世を賞賛した内容がヒエログリフで書かれていたりする。意外にもパパ大好きっ娘なのか。

 

ハトシェプスト女王は2本ペアでオベリスクを建てていて、もう片方は先端部分が現存しており、アメン神殿内の大スカラベ付近に置かれている。レリーフが美しいので是非こちらも見て頂きたい。

 

 

至聖所の台座

そして、しばらく進んでいくと至聖所がある。この至聖所はプトレマイオス朝時代に建てられたもので、アメン大神殿では比較的新しい建築である。

 

アメン大神殿は太陽神アメン=ラーのための神殿だが、次に向かうのはルクソールの古代名「テーベ」で信仰されたテーベ三神(アメン=ラー、妻のムト、子のコンス)を祭ったルクソール神殿へ向かう。

 

 

夜のルクソール神殿

 

カルナック神殿からルクソール神殿まで移動していたら、いつの間にか日が暮れていた。ルクソールの夜は少し肌寒さを感じる。

 

ルクソール神殿は夜もオープンしているので問題ないのだが、むしろ夜に訪れるべき所なのかもしれないと行ってみて感じた。以下、ご紹介していこう。

 

夜の第一塔門は幻想的で引き込まれる

 

この第一塔門はみんな大好き建築王ラムセス2世が建てたものだ。そもそも、第一塔門の前に並んでいる6体の立像は皆ラムセス2世である。この自己主張の強さは食傷気味になってきた感すらある。

 

第一塔門前のオベリスクもラムセス2世が建てたものだが、これは左右ペアだったもの。ここに存在しないもう片方はパリのコンコルド広場に建っている。

 

夜間ライティングされたオベリスクとラムセス2世像

 

第一塔門をくぐって中庭を通過し、第二塔門をくぐるとすぐ右に男女ペアの像がある。ツタンカーメンとその妻アンケセナーメンである。後ろに回ると、アンケセナーメンツタンカーメンの肩に手を回しているのが見える。仲睦まじい若い夫婦に思わずほっこり。

 

夜に映えるツタンカーメン夫妻の像

 

ツタンカーメン夫妻の像は祖父であるアメンホテプ3世が建てた大列柱室にある。夜にライトアップされた大列柱室の回廊はとても美しい。

 

列柱の間を歩く観光客もシーズン故にかなり多いが、ライトアップされた列柱を見上げながらスマホで写真を撮っている。

 

大列柱室(夜)

 

さらに進んでいくと大きな中庭が現れ、中枢部の建物が見えてくる。建物の入り口付近に、ローマ帝国の軍の駐留所として使われた跡が残っている。ローマのフレスコ画なのだが、周りの雰囲気に全く合っていないのですぐ分かる。

 

至聖所などがある石造りで出来た建物の中に入ろうとするが、入り口が狭く混雑しているため少し時間が掛かる。

 

なんとか狭い入り口をくぐると、いくつか部屋があり、最奥には至聖所が存在する。

 

至聖所のレリーフ

 

至聖所に描かれているファラオはアメンホテプ3世で、相変わらず神様へのご挨拶と捧げ物は欠かさないようだ。それにしてもミン神の「あの部分」はキリスト教的にはNGなのだろうか。いつも削られてるぞ。

 

 

今回はカルナック神殿アメン大神殿)からルクソール神殿と回ってみたが、そもそもこの二つの神殿はオペト祭という年に一度行われるお祭りで、神が街に下りる場所であるルクソール神殿から、神々の本拠地であるカルナック神殿までスフィンクス参道を使って互いに神船を行き来させていた関係深い神殿である。

 

最近スフィンクス参道が整備され、お互いの神殿の間を歩けるようになった。そこで古代エジプトの雰囲気に浸ってみるのも良いのではないだろうか。

 

ライトアップされた夜のルクソール神殿はただの神殿ではなく、神秘性がありテーベ三神の神域の感が漂っていた。ぜひエジプトに訪れた際には夜のルクソール神殿を体験してみてほしい。

 

以上、エジプト旅行記 その8 ルクソール編 Part.3でした。

エジプト旅行記 その7 ルクソール編 Part.2

2025年12月にエジプト旅行をした記録になります。

 

Illustrated by Gemini

 

ルクソール編 Part.1では西岸地区の遺跡を巡りましたが、今回はその続きである王家の谷のセティ1世・ラムセス6世王墓を訪れた内容になります。

 

 

 

エジプト旅行記 その7 ルクソール編 Part.2

 

王家の谷(セティ1世王墓)

 

ツタンカーメンの王墓見学の後は、ツアーから離れて自らチョイスした「わがままルート」の単独行動となる。まずはセティ1世王墓だ。

 

セティ1世は神殿を数多く作ったラムセス2世の父親という所からも分かるように、お墓を適当に作るはずもなく、王家の谷でも最大規模のお墓となっている。

 

ここは特別入場料が必要。つまり、このお墓に入るだけでお金を取られるのだが、なんと1800エジプトポンド=約5,900円である。高っか!

 

その入場料のおかげか観光客も少なく、じっくり見学することが出来た。

 

セティ1世王墓の案内板。とても長ーいお墓だ

 

セティ1世王墓の入り口。急な階段を下りていく

 

とても長い王墓内を下降して行くにつれて、どんどん豪華になっていく壁画やレリーフに目を奪われる。初めは「太陽神ラーの賛歌」が描かれた通路を下っていく。

 

少し専門的になるが、王墓に描かれている壁画やレリーフ古代エジプトの宗教観から来る「太陽が沈んでから再生(日の出)するまで」を表したもので、日没後12時間で行われる太陽の「冥界」での行程が示された物語が描かれている。

 

「アム・ドゥアトの書」「門の書」等いろいろ種類があり、どれも概ね上記ような内容なのだが、とにかく難解。あくまで私見だが、難解にすることで神秘性とか、人の力を超越するものといった印象を与えるのだろう。

 

セティ1世王墓も例に漏れず、玄室へと向かう通路にひたすら「冥界の世界」が描かれている。

 

入り口付近のレリーフ。セティ1世がラー・ホルアクティに挨拶している。

アム・ドゥアトの書 4時間目

通路途中にある、アム・ドゥアトの書の4時間目は「冥界に於ける試練の場」を描いた内容として圧巻。

 

冥界へと向かう「沈んだ太陽」は船に乗りながら冥界を下っていくのだが、閉じられた門を開けたり、魔物などを退治しながら進んでいかなくてはならない。どこぞのロールプレイングゲームのようである。そこで出合う魔物の種類や閉ざされた門を開けるための方法などをこのレリーフは示している。

 

つまり「冥界を彷徨い脱出するためのガイドブック」がアム・ドゥアトの書で、それがそのまま壁画になっているようなものだと思えばいい。

 

列柱室。セティ1世が様々な神様と挨拶している様子が描かれている

玄室の天井に描かれている古代エジプトの天体図が圧巻

 

玄室の天井には古代エジプトの天体図が描かれている。ナイル川が増水を始める頃の天体を表したものと言われており、上の写真の上半分に当たる北天の図には当時の星座が描かれている。

 

 

もうとにかくスゴイ。どれだけ時間をかけて壁画やレリーフを描いたんだよと思わせる量とクオリティ。

 

どんな人が設計して、壁画やレリーフをデザインして、実際に作っていたのか。セティ1世王墓は一部未完成の部分はあるが、これだけのものを完成させるのは並大抵ではない。これが今から約3500年前の人たちの作品。さすが(時代は違えど)ピラミッドを作った人たちだけはある。

 

 

王家の谷(ラムセス6世王墓)

 

セティ1世王墓の感動覚めやらぬまま、つぎはラムセス6世王墓へ。

 

ここも入場には特別料金が必要だが、セティ1世王墓の10分の1の料金で入ることができる。つまり、600円程度なので王家の谷に来たなら是非入ってほしい王墓だ。

 

ここは規模的にはセティ1世王墓に及ばないが、天井画がとてつもなく長大で美しい。そして、壁面が白い上に、今から3000年以上前の色彩がかなりはっきり残っているので、他の王墓と違いポップで明るい印象を受ける。

 

ラムセス6世王墓の中

 

内部は本当に美しい。壁画やレリーフはセティ1世王墓とほぼ同じ内容で「門の書」「洞窟の書」「アム・ドゥアトの書」、さらに有名な玄室の天井画である「昼の書・夜の書」などで構成されているが、見るものに与える印象が違う。

 

ラムセス6世王墓の方が全体的に明るく色彩豊か、絵柄も簡略的というか漫画的なので、あまり重い内容に見えない。冥界ではなくて、全部昼の世界を描いてるのでは?と思ってしまう。

 

そして圧巻なのは天井画だ。

 

天井には長大なヌト神が描かれている

さらに奥にある天井画。これが何を意味しているのか実は分かっていない

 

玄室までずっと天井を見て歩いていた。

 

そうすることで、古代エジプトの人たちが考える宇宙観というか、天空の構造をそのまま垣間見ることが出来るのだが、この天井画はその大きさとか果てしなさを表したものではないかと見ていて感じたのだ。

 

そうこうしているうちに玄室にたどり着く。

 

ラムセス6世の石棺。バラバラに破壊されたものを修復している

 

同じく石棺。ラムセス6世をかたどったもの

 

玄室は盗掘によってかなり破壊されたことが見て取れる。

 

王の石棺などはかなり細かく破壊されていたし、石棺のあった場所はえぐれている。展示されていた修復された石棺はかなり痛々しい。発見当時も王のものと思われるミイラは部分部分バラバラになって一部だけ発見されたようだ。

 

玄室にて天井を見上げてみると「昼の書・夜の書」と呼ばれる天井画が描かれている。

 

上が昼の書・下が夜の書

 

とても大きな絵なので、すべてが写真に入りきれない。

 

夜の書はアム・ドゥアトの書などと同じで、12時間に分かれた冥界の様子を表したものになり、昼の書はヌト神の体内を巡る冥界から再生された太陽が、その下にいる神々を照らしている様子を描いている。

 

この絵の解説本を読んでも超絶難解すぎて、私の頭では理解不能のためここまでにするが、とても巨大な絵なのに繊細さすら感じる美術として「昼の書・夜の書」を現地で鑑賞できたのはとても良い体験であった。

 

 

盛りだくさんだったルクソール西岸の遺跡探訪はこれにておしまい。次回は東岸にあるカルナック神殿ルクソール神殿を訪れます。

 

エジプト旅行記 その7 ルクソール編 Part.2でした。

エジプト旅行記 その6 ルクソール編 Part.1

2025年12月にエジプト旅行をした記録になります。

 

Illustrated by Gemini

 

今回は「テーベ」と呼ばれていた古代エジプトの都「ルクソール」にある遺跡を巡った話になります。あまりに盛りだくさんだったので、今回はPart.1となります。

 

 

 

エジプト旅行記 その6 ルクソール編 Part.1

 

ルクソールでの朝

 

ルクソールで宿泊したホテルは「ソネスタ・セントジョージホテル」という、かなり良いホテルであった。何をもって良いホテルというのか人それぞれだと思うが、プール付きのホテルは良いホテルということにしておこう。

 

このホテルには館内に日本食レストランがあるし、ナイル川沿いのホテルなので眺めがすこぶる良い。

 

ネスタ・セントジョージホテル

 

レストランでバイキング形式の朝食を取った後、ルクソールの朝の空気を感じに、ナイル川がよく見えるホテルの敷地内にあるテラスを散策。

 

ホテルからナイル川の眺め。朝は対岸に気球が上がっていた

 

ゆったりとたゆたうナイル川を眺めていると、ナイル川西岸にルクソールでの早朝ツアーの定番である気球が上がっている。今日はあの気球の下にある遺跡群を訪れることができると思うと、私の気分も上昇しないわけにいかない。

 

 

メムノンの巨像

 

いよいよルクソール西岸ツアーがスタートする。

 

ホテルで車に乗り、街の南部にある橋を渡ってナイル川西岸に移動。すると突然視界に巨大な座像が目に飛び込んできた。「メムノンの巨像」である。

 

メムノンの巨像

 

これは新王国時代 第18王朝のファラオであるアメンホテプ3世の像で、もう荒廃してしまったがアメンホテプ3世葬祭殿の入り口(塔門)があったところに建てられたものだ。

 

ルクソールの観光地としては定番な上に、この遺跡もだいぶ整備されたようだが、ここでの体験はこの巨大な2つの像との対峙そのものだった。

 

この像が鳴くとか、足下の落書きが歴史を感じさせる、など知っているといろいろ楽しめると思うので、行く前に調べてみることをオススメする。

 

 

メディネト・ハブ(ラムセス3世葬祭殿)

 

メイドゥムに引き続き、ツアー規定の観光ルートではない「わがままルート」第二弾は、ここメディネト・ハブ(ラムセス3世葬祭殿)である。

 

 

 

このメディネト・ハブなどを追加した自作観光ルートについて今回付いたエジプト人のガイドさんになぜか激賞された。「おまえエジプト分かってるな!」的な。ガイドさんとしてもオススメスポットだそうだ。

 

今から約3300年前の新王国時代の神殿としては保存状態が良く、神殿の建造物や壁画レリーフも圧巻の内容なのだが、なぜか日本人向けのツアーではあまり訪れない遺跡なのだ。J○BやH○Sは猛省して頂きたい。

 

メディネト・ハブの塔門

 

基本的にラムセス3世の功績や当時のお祭りの様子が壁画化されている場所である。

 

ラムセス3世の大きな功績として、シリア方面やヒッタイトを滅ぼした海の民など、外敵の侵入からエジプトを守り、それを追い払ったということがある。

 

まさに、この葬祭殿の外周壁には海の民との戦争やヌビアやシリア方面の戦いの様子が描かれていて戦闘描写や外敵を懲らしめている場面が多い。その点、アブシンベル神殿のラムセス2世関連のレリーフに似ている。

 

塔門左側では早速アメン・ラーラムセス3世が敵を懲らしめている

ラムセス3世の王子達が野牛を狩っているレリーフ

指してる先が切断した捕虜の手首を数えてるところ

当時の色彩が残っているところも。エジプシャンブルーが美しい。

 

海の民との戦いレリーフ

 

有名な海の民との戦いレリーフ。写真だと全体像が分かりにくいので、wikipediaからレリーフの複写図を転載。兵士達の戦闘中の雄叫びが聞こえるかのような、かなり詳細な描写をしていることが分かる。

 

Seevölker.jpg
オリジナルのアップロード者はドイツ語版ウィキペディアSeebeerさん - de.wikipedia からコモンズに Arcibel によって移動されました。, パブリック・ドメイン, リンクによる

 

 

この神殿のレリーフは非常に彫りが深く、エジプシャン・ブルーに彩られた回廊など見応えがあるものばかりなので、ルクソールに訪れた際は是非見学してほしい。

 

貴族の墓(ラモーゼの墓

 

次に訪れたのは貴族の墓。貴族の墓は王家の谷のように広い敷地の中に点在していて、今回はその中の一つ「ラモーゼの墓」を見学した。

 

 

ラモーゼは新王国時代 第18王朝において、アメンホテプ3世と4世(アクエンアテン)がファラオだった時代の宰相。

 

このお墓の壁画やレリーフでは、伝統的なエジプト絵画とアクエンアテン時代のアマルナ芸術を両方楽しめるなんともお得な場所。

 

モーゼの墓

 

モーゼの墓で一番有名な壁画は「泣き女」。葬式の場面で描かれている泣き女は古代エジプトでの立派な職業。手を頭の上にかざして泣いている人たち。絵をよく見るとポロポロと涙を流しているのが分かる。

 

泣き女

毎度おなじみアテン神と削除されたアクエンアテン

 

アクエンアテン宗教改革唯一神となったアテン神の絵。アクエンアテンが消されてるのは、宗教改革で蚊帳の外にされた多神教時代の神官の恨みからと言われている。

 

彫りが細かい!

 

写実的なアマルナ芸術の影響か、レリーフの彫りが繊細で美しい。髪の毛の編み込み(実はカツラ)を精密に再現した当時の職人の技術に感嘆するほか無い。

 

 

ハトシェプスト女王葬祭殿

 

 

続いてハトシェプスト女王葬祭殿へ。背後の切り立った崖とハトシェプスト女王葬祭殿の建物のコントラストが美しい。葬祭殿そのものが崖に描かれたレリーフのよう。

 

ハトシェプスト女王葬祭殿

 

この葬祭殿の建っているシチュエーションは素晴らしいのだが、見所は1F部分の壁画・レリーフ部分と3Fのハトシェプスト女王のオシリス像くらい。至聖所に行ってもいいけど、何もない。

 

ハトシェプスト女王は新王国時代の女性ファラオだが、次のファラオであるトトメス3世になかなか王位を譲らず恨みを買ってしまったが故に、この葬祭殿のハトシェプスト女王のレリーフが全部削られてしまった、という話がある。

 

中央に削られたハトシェプスト女王の跡がある

 

実際、1F右側のテラスにハトシェプスト女王が交易でエジプトを栄えさせたという内容のレリーフがかなりの長さで描かれているのだが、当のご本人がざっくり削られてしまっているので、なんだかよく分からない感じになっている。

 

ハトシェプスト女王のオシリス

3Fにあるオシリス像だが、顔がいくつか女性的でハトシェプスト女王を意識して作られたものなのだろう。

 

 

王家の谷(ツタンカーメン

 

本日前半のクライマックスは王家の谷である。

 

幼少期にハワード・カーターのツタンカーメン王墓発掘に関する本で読んでから数十年、やっとその現場まで来ることが出来たのは感無量だ。

 

王家の谷

このカンバンで本日公開しているお墓をチェックできる

 

日本のツアーで王家の谷へ行くと、よくあるパターンとしてツタンカーメン王墓+3つの無料で入れるお墓のセットが旅程に組み込まれるのだが、私はここまで来てそれでは満足できないのである。

 

規定の観光ルートを外れた恒例の「わがままルート」として、入場に特別料金が必要なセティ1世王墓とラムセス6世王墓を追加した。さらにトトメス3世王墓も見学したかったのだが、現在修復中で未公開とのことで断念。

 

【注意喚起】

トトメス3世王墓は上の写真のカンバンでも「Closed」になっており、現在修復中で公開されていない。しかし、王墓の手前に「お金払えば入れるよ」と声をかけてくる人が居たので注意すること。当然、お金払っても王墓の中には入れない。

 

 

初めに入場するのはツタンカーメン王墓だ。

 

ツタンカーメン王墓入り口

 

ツタンカーメンはほぼ日本独自の言い方で、世界的には「トゥト・アンク・アメン」が一般的な発音である。入り口のカンバンも「TUT ANKH AMUN」表記だ。

 

入り口から急な階段を下って王墓の中に入るまでにこんな会話が聞こえてくる気がした。

 

「Can you see anything?」(何か見えるかね?)

「Yes, wonderful things.」(はい。素晴らしいものが)

 

1922年11月26日にそんな会話が交わされた場所を過ぎ、王墓の中に入ると前室と玄室しかないかなりコンパクトなお墓であることが分かる。

 

 

ツタンカーメン王墓内部

 

大エジプト博物館では、ツタンカーメン関連のもの凄い数の副葬品が展示されていたが、あの量の副葬品がどこにしまわれていたのか?と思うくらい中は狭い。

 

実際には副葬品用の小さな部屋が2つあって公開されていないだけなのだが、他の王墓と比較すると規模がとても小さい。故に急いで作ったとか、他の人の墓を転用した説があるくらいだ。

 

とは言え、ハワード・カーターに憧れた自分にとってはかけがえのない体験だったので良しとしよう。ツタンカーメンのミイラもまだ王墓内にあり、若くして亡くなった少年王に手を合わせてきた。

 

この後、セティ1世とラムセス6世の王墓に行くのだが、それはまた次回に。

 

エジプト旅行記 その6 ルクソール編 Part.1でした。