今回は、先日遂に完結したアニメ「響け!ユーフォニアム3」の感想を書いていこうと思います。
ネタバレ含みますので、未見の方は最後までご覧になってからどうぞ。
ちなみに、私は高校の時に吹奏楽部でユーフォニアム、その後、社会人吹奏楽団でトロンボーンを吹いていた吹奏楽経験者です。なので、感想だけでなく実際の吹奏楽部に関してや劇中の吹奏楽曲についての話題も入れていくので、その点ご容赦くださいませ。
「ディスコ・キッド」
昭和52年度(1977年だから47年前!)吹奏楽コンクールの課題曲であるディスコ・キッドの演奏とともに始まる今作ですが、私は高校の時に演奏経験があります。流れてきたときは、宝島の時と同様にあの特徴的なイントロですぐに分かったので「うおぉー」と声が出てしまいました。
もちろん課題曲としてリアルタイムで演奏したわけではなく、昔の課題曲の中でも人気のある曲って演奏会の演目や練習曲として使われることが多いんですよ。
例えば、私が演奏した曲だと昭和62年の課題曲である「風紋」とか昭和53年の課題曲「ジュビラーテ」とか昭和54年の課題曲「フェリスタス」とか。
ディスコ・キッドはお堅い曲が多い課題曲にあって、軽快なリズムと特徴的で親しみやすい旋律でとても人気のある曲で、未だにいろいろなところで演奏される吹奏楽曲です。
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九州の吹奏楽強豪校である精華女子のディスコ・キッド。ちょっと音響が残念ですが、さすが上手い!黒江真由が北宇治に転校する前に在籍していた清良女子のモデルでもありますね。
でもねー、作中でこの曲を演奏していたのが見慣れた北宇治の吹奏楽部ではなく、2024年の北宇治高校吹奏楽部だったとは。原作を読んでいたので「もしや」とは思っていましたが、最終回の終わりに上手く繋いでいく演出に感動。
ちなみに、コンクールで演奏した課題曲で何年の話か分かります。久美子が1年生の時に「三日月の舞」と共に演奏した課題曲は2015年の課題曲IV「プロヴァンスの風」。今回、3年生として演奏した課題曲は2017年の課題曲I「スケルツァンド」なので、アニメの響け!ユーフォニアムは2015年から2017年の話だって分かるんです。
最終回の最後の久美子が吹奏楽部の副顧問として北宇治に戻ってくるのは、原作と同じだったので安心しましたが、12話あたりで原作から大きく外れだしたので、全国大会の結果とか久美子の将来とかまで変えてくるかなーと、ヒヤヒヤしながら見ていたのが正直なところ。
ある意味、原作既読の人たちも最後までテンションを失わずに見れたんじゃないですか?原作と同じ経過や結末でも予定調和的でそれはそれで美しいですが、「あれ?どうなっちゃうの?!」となるのも、それはそれで意表を突く構成の妙だったのかも。
この改変、私は違和感なく見れましたし、むしろ原作読んでいても先が分からなくなったので、アニメの展開が楽しみになった感じです。なんか、いろいろ議論があったみたいですが、原作と同じにする道理もないですし、原作者公認ならなおさら。
黒江真由と部活エンジョイ勢
高校の吹奏楽部でユーフォ吹いてるとき、こんな子が転校してきてくれていれば、高校ブラスバンド生活をもっとエンジョイできたろうになぁ、なーんて。
黒江真由はいわゆる「みんなと仲良く、楽しく演奏したい」という部活エンジョイ勢の人ですが、前は強豪校にいながらこの考えの人っているんだと少しビックリしたものです。
私も高校時代は完全な部活エンジョイ勢で、コンクールなんてなんで出ないといけないの?と思っている人でした。社会人楽団もコンクールに出ない団体に入ってました。真由と同様、みんなと一緒に合奏している時が楽しくて、音楽は楽しむものだという考え方だったんですね。
なので、部の雰囲気をかき乱すように見える黒江真由の行動や考え方に反発する人もいるようですが、個人的にはさほど違和感を感じず、「そうそう、こういう考えの人って結構いるのよ。でも、オーディションするような意識高い吹奏楽部にいると、苦労するだろうなー」と思って見てました。
同じ高校で野球をするのでも、甲子園を目指すのか、それとも放課後に楽しく草野球するのか。どちらも野球に変わりありませんし、優劣付けるものでも無い。吹奏楽でも同じだと思うんですよね。
悲しいかな吹奏楽部は同じ部内でも、その2つの考えが同居してしまうケースはままあるんです。
ユーフォ3期はRPGだ
アニメ3話の1年生の退部騒動で何となく気がつき、12話のオーディションで確信したのですが、3期のストーリーで出てくる出来事って今まで久美子が見てきたことが、ほぼそのままのモチーフで久美子に降りかかる話になってますよね。
実際に過去の出来事との関連性って、アニメの中でも久美子がモノローグ的に思い出すので分かりやすくなっているのですが、例えば
・1年生の退部騒動 ⇒ 希美やみぞれの代の退部騒動
・真由のオーディション辞退未遂 ⇒ 夏紀に配慮した奏のオーディション
・久美子と真由の覆面オーディション ⇒ 香織と麗奈の公開オーディション
部長として成長している久美子に対して、ある種無責任でひとごとで済ませていた過去の出来事が全部自分事として降りかかってくる。
これって何かなー、と思ったら、例えばドラクエでも何でもいいと思うんですけど、RPGで最後の大ボスに向かう前の、過去に戦った中ボスとの再戦みたいなものなのかと思ったわけですよ。
前は仲間と一緒に倒せばOKもしくは傍観していても大丈夫だったのが、こんどは自分の責任で全部倒さないといけなくなった。
大ボス=全国金ですかね。そこに至るまでに勇者久美子は試練を乗り越えないといけないんですね。部長はつらいよ。
覆面オーディションでの譲れぬ信念
クライマックスでもあった久美子と真由の覆面オーディションですが、麗奈含めた3人はそれぞれ交錯する希望と信念を持って望んでいることを理解する必要があります。この3人の思惑というか、構造がちょっと分かりにくいので整理しておくと、
久美子:
希望=麗奈とSoliを吹きたい
信念=オーディションは先入観の無い状態で公平に行わなければならない
麗奈:
希望=久美子とSoliを吹きたい
信念=全国金を取るためにベストな奏者で挑まなければならない
真由:
希望=みんなと楽しく合奏したい。久美子からSoliを取り上げて雰囲気を悪くしたくない
信念=音楽に嘘はつけない。やるからには最高の演奏をしなければならない
つまり、3人とも希望を優先すると信念が貫けず、信念を貫くと希望が叶わなくなるんです。結局、3人とも信念を貫く選択をした。その結果、真由がSoliを吹くことになった。
久美子がわざわざ自分に不利な覆面オーディションを実施した理由や、オーディションでの麗奈の選択については上記のまとめで説明できるんです。
真由に関しても覆面オーディションで、以前奏がわざと下手に演奏して夏紀をコンクール編成に残そうとしたようなことができない理由は説明できるけど、謎なのは何度も久美子に対して「オーディション辞退しようか?」と迫ったこと。
普通に考えれば、本当に辞退したいと考えているなら「オーディション辞退します」と言えばよいだけなのに、なぜ久美子に「辞退した方が良いよね?」と迫るのか?
これはあくまで個人的な見解で間違っているかもしれないですが、
①真由の性格その1。優柔不断で主体性がないから、他人に判断を委ねがち。これは、転校を多くしてきた経験から、転入した社会になじむために回りに合わせる選択を取るようになったからなど考えられる。また、カメラに写りたがらない所からも察せられる。
②真由の性格その2。真由は意外に合理的でサバサバした考えの持ち主。退部者に対する考え(アニメ3話の「たかが部活なんだし〜」のくだり / 清良で一緒にユーフォやっていた友人が辞めた話)など。ここから人の感情や気持ちに対してやや鈍感な所がある。
③部の雰囲気を悪くしたくない。真由は久美子の演奏の力量を把握しており、公平なオーディションをしたら自分にSoliが回ってきてしまう可能性が高いと分かっていた。それでは部の雰囲気を悪くしてしまう。それは自分の意思とは反するので、オーディションはしたくない。みんなで楽しく演奏したいだけ。
④久美子への配慮。久美子は全国金を取るためにオーディションを実施し、ベストな編成を組むことが良いとの考えの持ち主。そこではっきり「オーディション辞退します」とか「オーディション反対」と言うことは久美子の考えを否定し、和を乱すことになる。久美子やみんなと仲良くしたいし、嫌われたくない。
⑤みんなと合奏したい。オーディション辞退=コンクールメンバーでなくなる。つまり、みんなと合奏できなくなる。もちろん、高校生活最後のコンクールには出たい。
この5つの要素が混ざり合った真由の行動が、謎に見えてしまうと。演出上の見せ方も多分にあるのですが、こんな構造なのではと思うのですよね。
なので、真由が覆面オーディションが終わったときに見せた涙も「これでオーディションの呪縛から開放された。今後、久美子や吹部のみんなとも仲良く合奏できる」と感じた安堵の涙だと思っています。
それでも「なんだよ、結局真由はわがままを貫いただけじゃん」と思うのは自由かと思います。でも、久美子も麗奈も自分のわがままを貫いたんです。お互い様です。一見すると真由が最大の利益者で、久美子が被害者みたいに見えてしまうから、ここはちゃんと抑えておかないとね。
なんか、考察になっちゃってますが、覆面オーディションのシーンは結果を聞いたところで座って見ていたソファーから転げ落ちました。「えええええええぇぇぇぇぇ。知ってる話と違う!!!!」って。
「一年の詩〜吹奏楽のための」
この曲、過去の自由曲「三日月の舞」「リズと青い鳥」より好きですね。音楽配信でも全曲配信されるようになってから聞いてますが、まさにヘビロテ中。
何が好きって、曲自体のドラマチックな展開やチューバ4本の迫力重低音、そしてトランペットとユーフォが奏でるSoliの美しさです。コンクールで上に行く強豪校は音圧というか音の厚みが凄いなと思いながら、過去のコンクールの演奏を聴いたことがありましたが、そのあたりが再現されてていいなと。
ストーリーではユーフォの奏が外されて、チューバのさつきがコンクール編成に加わってましたが、滝先生の判断は間違っていなかったと曲を聴いて確信。
最終話の高校3年間の回想とともに奏でられた、コンクール全国大会での「一年の詩」はとても感動的でした。素晴らしい。
全国大会でのSoli
久美子は全国大会でSoliを吹けませんでしたが、私はむしろ原作よりもこちらのほうが展開としては有りかなと思い見てました。原作は終盤につれて予定調和的になってちょっと淡泊かなー、と思っていたので。
自分が子供の時に見ていたマンガ、例えば週刊少年ジャンプの「友情・努力・勝利」みたいに、最終的に正義の主人公が仲間とともに努力して勝利して終わる、といった展開こそがよしと思われていた時代がありました。
もう大人になってくると「そんなわけねー」と思うわけです。努力は必ず報われる、とか、正義が必ず勝つ!とか世知辛い世間を多分に生きていると必ずしもそうではないって、身をもって体験しちゃうわけですよ。
一番大切なのは、うまくいかなくてもそれをバネにどう変わることが出来るか、どう巻き返すことが出来るかなんですよね。その理不尽さを乗り越え成長できるかどうか。
久美子先生はきっと良い先生になるはず。なぜならば、うまくいかなかった人の気持ちを知っているから。
最後に
足かけ9年このアニメを追いかけてきましたが、もう終わってしまったかと寂しい気持ちがある一方、京アニがいろいろあった中で完結できて良かったと思う気持ちもあります。
原作者の武田先生はじめ、京都アニメーションなど製作に関わった皆様、本当にありがとうございました!
吹奏楽もので主役がマイナー楽器のユーフォ吹き、しかもタイトルまでユーフォって、聞いたときは衝撃を受けましたが、多くの人にユーフォニアム(未だに違和感ある。「ユーフォニウム」お呼び名の方が一般的と思うが)の素晴らしさを知ってもらえたのは良かったなと思います。
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作中でもあるあるで出てましたが、本当にユーフォって人気なくて奏者を集めるのが大変。新入部員は誰も希望してくれなくて、だいたい高校だと中学の経験者(と、ばれてしまった人)か他のパートで余った人が来るような楽器なんです。
北宇治は久美子、真由、奏、佳穂と4人もユーフォいるんですね。いいなぁ。うちらはMaxで2人、ほとんどの期間1人でしたから。
この小説やアニメを切っ掛けに、少しでも全国のユーフォ奏者の仲間が増えてくれればいいな。