2025年12月某日、エジプト旅行最終日。
この日はサッカラの遺跡とエジプト国立文明博物館を訪問した記録である。

最終回となる今回はエジプト最終日午後の行程となる、サッカラの階段ピラミッドやウナス王ピラミッド訪問とエジプト国立文明博物館(NMEC)見学の記事となります。
エジプト旅行記 最終回 サッカラ・エジプト国立文明博物館編
サッカラ 〜 ネクロポリス。死者の街
メンフィスの遺跡から向かったのはサッカラ。
古代から続くネクロポリスと呼ばれる死者の街である。
死者の街と言ってもゴーストタウンがあるわけではない。
この土地そのものが広大な埋葬地となっていて、掘り返すとミイラが大量に出てくるような所なのである。
王や貴族はさすがに地面に直接埋めるわけにはいかないので、ピラミッドや岩窟墓などを作ってそこに埋葬されている。ちなみに、アピスと呼ばれる「聖なる牛」も専用の施設(セラペウム)に埋葬されていたりする。
そのサッカラの象徴となる、ひときわ目立つランドマークがある。
それがジェセル王が作った階段ピラミッドだ。

メンフィスからサッカラに向かうと、小高い丘を登っていくような感じになる。丘を登るその途中に貴族の墓と思われる岩窟墓群などが見られ、ネクロポリスに来たのだなと感じられる。

丘を登りきって、正面に第五王朝の創始者であるウセルカフ王のピラミッドが見えてきたら、もうすぐで階段ピラミッドである。
ジェセル王の階段ピラミッド 〜 垂直方向の巨大化

階段ピラミッドは史上初の「ピラミッドっぽいピラミッド」である。
今から約4700年前に第三王朝のファラオであるジェセル王(ネチェリケト王)によって建てられた史上初の巨大石造建築物なのだが、なかでも「背の高い石造建築物」という当時としては革新的な建造物なのだ。
##石造の建築物は階段ピラミッド以前にもあったが、大規模な建築物としては初
古代エジプトの「墓」は、それまでマスタバと呼ばれる一階建ての平屋しかなかった。しかし、ジェセル王は「墓」を垂直方向に拡大すると言うイノベーションを起こした。
階段ピラミッドは6階建てになっていて、平屋のマスタバを6段積み重ねたような構造になっている。その偉大な設計者は宰相イムホテプとされている。

駐車場で車を降りて、物売りのお兄さんを横目に階段ピラミッド方面に向かうと、まず茶色い塔門が見えてくる。かなり修復されているとは言え、約4700年前に作られた石造の美しい門だ。
門をくぐると列柱室が現れる。今まで見た中でも最古の列柱だ。多くの観光客が狭い参道を歩いている。すれ違うのも大変である。

観光客をかき分けながら列柱室を抜けると、そこには広大な広場が現れる。その向こうには巨大な階段ピラミッドが鎮座していた。

広場にいる人と比較するとその大きさが分かると思う。
高さ約60m、幅約120m。大きな世界最古のピラミッドである。
そして、このとても広い広場だが、実はちゃんと意味がある広場なのだ。
ファラオは即位してから30年目に、統治する力を更新する儀式である「セド祭」を行うのだが、ジェセル王のセド祭会場がこの広場であった。
このセド祭でファラオは何をするのかというと、民衆や神々への己の体力の誇示や統治力の確認として広場を走るのである。陸上競技のトラックのように使われるので、この広さはそのためなのだ。
広場をピラミッド方向に歩いて行くと、階段ピラミッド正面に中への入り口があるので、そこから内部に入ってみる。
そこそこ広い通路を進んでいくと、ちょうど玄室の上部に辿り着く。

下にあるのがジェセル王の石棺
階段ピラミッドの玄室は吹き抜け構造になっていて、天井がとても高い。玄室の中心部に巨大な石を積み上げて出来たような石棺があり、ここにジェセル王が眠っていたらしい。
前述のように、マスタバという平屋の墓から階段ピラミッドという垂直方向へ拡張を行ったジェセル王であるが、王権の象徴としての大きな階段ピラミッドを作ったという説がある。
もう一つ付け加えるなら、階段状の形状は、王が天に昇るための階段を象徴しているという説もある。王の死後、星や太陽神のもとに昇ると考えられており、その宗教観がこの形状に表れているとも言われている。
ウナス王のピラミッド 〜 言葉の力による再生
階段ピラミッドの広場を横切り、階段を上って少し歩くと何やら大きな砂山みたいなものが見えてくる。ウナス王のピラミッドだ。

ピラミッドと言うには少し奇妙な感じがするが、元は立派なピラミッドである。すでにかなり荒廃が進んでおり、ピラミッド構造物としての岩石があまり残っていない。
ウナス王は古王国時代 第五王朝最後の王である。ギザに大きなピラミッドを建てたクフやカフラーよりも200年くらい後のファラオで、古王国もやや勢いが落ちてきた頃のファラオである。
ウナス王のピラミッド内部を見学する前に、ピラミッドの周りをぐるっと一周回ってみることにした。
ちょうど上の写真の反対側である南面からこのピラミッドを見ると、北面ではほとんど残っていなかったピラミッドの名残を見ることが出来る。

上部に新王国時代のヒエログリフが残っている
ピラミッドの外壁部分が一部残っている場所があるのだが、そこの修復面をよく見るとなにやらヒエログリフが描かれている。よく見るとラムセス2世のカルトゥーシュが掘られているではないか。
これは、ここの修復を実施したラムセス2世の第4王子であるカエムワセトが残したもの。彼は史上初のエジプト考古学者としても活動しており、その時すでに荒廃が進んでいたこのピラミッドの状況を憂いて修復したと言われている。
葬祭神殿があったと思われる東面を回って、北側にあるピラミッド入り口へと向かう。

ピラミッド入り口の階段を下りると、しばらく屈まないと通れない狭い通路を進んでいく。ピラミッド内部といえば大概こんな感じなので、もう慣れっこである。
通路の先はちょっとした空間が広がる前室となっている。前室から右側の部屋に移動すると、そこは玄室だった。

このウナス王のピラミッドの最大の特徴であり、歴史的意義といえばこの玄室に描かれている壁画とヒエログリフである。
今まで内部を見学したピラミッドの玄室に装飾があるものは存在しなかったが、このウナス王のピラミッドはそれが存在する。
このウナス王のピラミッドにあるヒエログリフこそピラミッドテキストと呼ばれる最古の葬祭文書であり、王家の谷で見たファラオの墓内で描かれていた壁画やレリーフの先駆けなのである。

このピラミッド内部の壁面には200以上の呪文が書かれていて、これらはウナス王が亡くなってから「あの世」に行き、滞在するために必要な文章が記されている。
なかにはファラオが人や神をも喰らいながら生命力を得て天に昇っていく所を描く「食人賛歌」と呼ばれる有名な文章もあり、当時の宗教観などを垣間見ることができる。
このピラミッドテキストが新王国時代の「死者の書」へと発展していく。古代エジプトの葬祭文書の原点であると言えるだろう。
実際にこのピラミッドテキストをこの目で見たが、彫りが美しく非常に読みやすい。死者の魂が読めるように配慮した結果だと言われている。
ここでは、ピラミッドテキストのヒエログリフが持つ文字の力に圧倒された記憶しか無い。

真ん中のカルトゥーシュはウナス王を意味している
ウナス王のピラミッドも日本の旅行会社の観光ツアーではあまり行かない遺跡だ。ファラオの墓内部の歴史的転換点を目にすることができる貴重な場所なのに、なんと勿体ないことか。
ルクソールの王家の谷で見る、新王国時代の王の墓のきらびやかな装飾の原点がこのウナス王のピラミッドなのだ。是非、訪れてピラミッドテキストの圧を感じてほしい。
エジプト国立文明博物館 〜 ファラオの肉体
サッカラを離れて次に向かったのは、今回のエジプト旅行最後の訪問地であるエジプト国立文明博物館(NMEC)である。
この博物館の最大の見どころはThe Royal Mummies Hallに展示されている、歴代ファラオのミイラだろう。
あいにくミイラが置かれている展示室の内部は撮影禁止なので写真はないが、ルクソールで見てきた遺跡に関わるファラオのミイラがここに存在していた。それだけ、有名どころのファラオのミイラが現代でも残っているということである。
セティ1世・ラムセス2世親子、トトメス3世、ラムセス3世などなど20体以上のファラオのミイラが展示されているが、新王国時代のファラオが中心。
これらのファラオのミイラは、2021年に「ファラオの黄金パレード」と呼ばれる壮大な式典でエジプト考古学博物館から移送された。カイロの街をファラオ達が行進するかのような演出で運ばれたこのイベントは、現代に於いても大きなニュースとなった。
歴史を勉強していると実際に歴史上の人物に会ってみたくなってくるものだが、実際にミイラとは言え会えるのはスゴイことだ。新王国時代に推しファラオがいるひとは会える確率が高いので是非!

その他はエジプトの古代から現代に至るまでの風俗や文化に関する展示が行われているが、ここでは割愛する。写真も無く、実は行っていないのではと思われるのもイヤなので、展示されていたアクエンアテン像の写真を載せておこう。
エジプト旅行の総括
古代エジプトの文明は、日本のそれとはまったく異なる世界のように思える。
ファラオは神とされ、巨大なピラミッドや神殿が建てられ、人々は死後の世界を強く信じていた。こうした文化は、日本の歴史や文化とは大きく違うように見える。
しかし遺跡を巡っていると、むしろ日本とよく似ている部分も多いことに気付く。
例えば王の存在である。
古代エジプトではファラオは神の化身とされ、太陽神の子として統治していた。
日本でもまた、天皇は天照大神の子孫とされ、神聖な存在として位置付けられてきた。
形は違うが、「神と王が結びついた国家」という構造は共通している。
巨大建築についても同じことが言える。
エジプトにはピラミッドや神殿があるが、日本にもまた巨大な古墳や寺社が存在する。
例えば日本最大の古墳である仁徳天皇陵は世界でも最大級の墓であり、国家の力によって築かれた王の墓という意味ではピラミッドとよく似ている。
宗教の形もまた共通点が多い。
古代エジプトは多くの神を信仰する多神教社会であり、地域ごとに様々な神が存在していた。
日本の神道における「八百万の神」もまた、自然や土地に宿る無数の神々を信仰する点で非常に近い。
こうして見ていくと、古代エジプトは決して遠い文明ではない。
文明の形や宗教の表現や手段は違っても、「多くの神を敬い、王を中心とし、死者を大切にする社会」という構造は、日本と驚くほど似ている部分がある。
遠い砂漠の文明のように思えた古代エジプトは、実は人間社会の普遍的な姿を映した鏡のような存在なのかもしれない。つまり、時代や距離的に離れた場所であろうと人間が考えることはそんなに違わないということなのだろう。
何となく古代エジプトに親近感を感じつつ、このエジプト旅行記の筆を置きたいと思う。
以上、エジプト旅行記 最終回 サッカラ・エジプト国立文明博物館編でした。




















































































