今年の夏休みのメインは長崎県への旅行でした。何回かに分けて長崎の旅行記を書きます。
以前から行きたいと思っていたツアーに今回参加できました。軍艦島(端島)への上陸ツアーです。
軍艦島は1年に100日程度しか上陸可能な日がないと言われ、ツアーの船を予約しても当日波が高かったりと状況が悪ければ上陸できるとは限らない、ある意味運任せなエクスカージョンでもあります。
長崎港を出港したツアーの船は、途中停泊する伊王島と高島を経由して軍艦島までおよそ1時間弱ほど。週末だったからか定員いっぱいの船で出港でした。
程なくすると見えてくる端島。大正時代に三菱造船 長崎造船所で建造された戦艦「土佐」(後に空母になる加賀の妹艦)の姿に似ていることから付けられた名前が「軍艦島」でした。
この異様な島影が次第に近づいてくる様に圧倒されます。今まで多くの工場などの「人の手による巨大構造物」を見てきましたが、その全てを蹴散らすほどの巨魁。ただただ圧巻。今日は上陸できるとのことで一安心。
上陸した桟橋から島内へ向かいます。ちょうど中央の遠目に人が居るところの下に船が着きます。右のトンネルをくぐって島内に上陸です。
島内に3カ所ある見学広場の初めの見学場所から見える端島小中学校。手前に見えるゲート状の柱は石炭を運ぶベルトコンベアーの支柱だったもの。このあたりが貯炭場だったようです。
軍艦島は三菱が運営していた炭鉱で栄えた島でした。
2番目の見学広場から総合事務所跡(赤レンガの壁)と第二竪坑坑口桟橋跡。後ろに聳える山の頂上に見えるのは貯水槽で島内では真水は貴重だった模様。
25mプール跡。流石に真水ではなく海水を入れて使っていたらしい。
30号棟・31号棟アパート。右のグレーの建物が有名な30号棟で大正5年築の日本最古の鉄筋コンクリート製の高層アパート。これらは鉱員用の社宅として利用されていたそうです。
なお、この30号棟はいつ倒壊してもおかしくないくらいダメージが蓄積されているらしく、この貴重な建築物がいつまでこの姿のままでいられるのかは誰にも分かりません。
工場跡地から30号棟アパートを見る。島内の風化は全て自然による物。周りが海で吹き付ける風や潮・塩害でコンクリート製の建物でも風化が早く、すぐに瓦礫になってしまうとのこと。
なので、1年後に来ても同じ景色が見られるとは限らない。それどころか日々どこかが変わっているようで冒頭の学校の建物も少しずつ倒壊しているそうです。
最盛期にはこの狭い島に5000人を超える人々が生活していた軍艦島。1974年に炭鉱が閉山し、それ以来人が住んでおらず廃墟化しているわけですが、島に入ってみて最盛期の人々の営みとそのパワーを、また逆に形ある物がなくなっていく寂寥感を同時に感じるという不思議な感覚を覚えました。
人が作る物はかくも儚いのか、、、見学後に妙に哲学的になりながら島を後にしました。ただの廃墟だと侮るなかれ、そこには考えさせられる何かがあります。